学校図書館自主講座

    神戸・京都で勉強会や読書会を行っている足立正治先生主宰の学校図書館自主講座に参加した。

1.報告“司書教諭としての立ち位置を確認するための「研究」-博士課程の7年間をふりかえって-(庭井史絵さん  慶應義塾普通部)

      具体的に、研究のきっかけ、研究テーマの変遷や、用語の定義の必要性、研究方法の研究、図式化の有効性、論文にまとめて行く苦労と戦略等を丁寧に話してくださり、大変勉強になった。言説が、仮説となるために多大な調査が必要なことがわかった。

      また、庭井さんの学校図書館利用指導の内容を25カテゴリー119項目に分類した表は、現場で活用できそうだと思った。思っただけではだめで、実際に意識して授業に取り入れたいのだが。


      私は全くアカデミックな世界に素人で、あることを明らかにするために、何をどう調査すればよいかわからない。これまで私は、たくさんの実践発表は聞いてきたが、図書情報系の学会発表を聞いたことがなかったので、今回、研究デザインや研究方法について知ることができたのは収穫だと思う。

       私は、量的研究より質的研究に興味があり、インタビューの分析手法に関心を抱いた。もう少し知りたくなった。


2.意見交換

探究学習(情報と探索と利用の指導)を学校図書館員と教科教員が協働で行う場合、図書館員と教科教員が互いの役割を図り合いながら効果的に納得のいく関係を作っていく必要がある。しかし大抵、図書館員が、教科教員の特性に合わせて柔軟に対応することが求められる。では、教員側はどうすればよいのか。バックボーン、意識、経験がちがう教員が、もう少し共通の土俵に登ることができたらと思う。今はあまりにも、探究学習に対する予備知識、意欲、指導力が違いすぎる。教員養成や経験者研修で情報と探索の利用指導を学ぶチャンスを作る必要があるのではないか。

また、資料、文献の読み方、情報の処理の部分の指導法の確立が急務だと思った。


 


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# by nokogirisou | 2017-12-17 22:02 | 本と図書館

学校図書館が周囲とつながるために…今井福司先生講演

新潟県高等学校図書館協議会第7回研究大会で、白百合女子大学の今井福司先生より講演していただく。
スライドや資料は
http://librarius.hatenablog.com/

学校図書館をめぐる定義やデータも、知っているようで、知らない。会場には新鮮な空気が流れていた。数字の示すチカラは大きい。
また、『学校図書館』2009年1月号から連載されていた、「新教育課程における学校図書館の活用」が紹介されていたが、私も記憶にある。ただあれから時間が経過しているので、学校図書館の活用は、進化しているのではないかと考えている。確認してみよう。

学習指導要領と学校図書館の関連については、丁寧にお話しいただき、わかりやすかった。
アクティブラーニングについての理解も進んだ。
『無藤隆が徹底解説 学習指導要領改訂のキーワード』を紹介いただき、食指が動いた。

探究的な学習の理想と必要性はよくわかる。現場で、探究学習が日常的に行われないのは、環境にも原因かあるだろうが、一番の原因は教員の理解不足、研修不足によると思う。
やはり、現場は知識伝達、同じ教材使用、詰め込み、一斉授業が安心で、やりやすいのである。探究学習を経験したことがない、図書館での学びを経験したことのない教員にとって、課題を設定し、テーマを決めさせて、情報を収集させ、整理分析させ、まとめさせ、発表させ、それを評価するのは、大変難儀なのである。 SSH指定校で、お金人材ノウハウのある学校でさえも、四苦八苦している。ちょっと気を抜けば形式的な作業に陥ってしまう。教員養成課程の中に学校図書館利用や探究学習の授業が必修であるとよいのだが。

読書の定義について、会場がちょっと湧いた。どこまでが定義か。人や時代や国によってちがうものらしい。いつも、読書について話し合うときに、人それぞれ定義や出発点の違うことにとまどいをおぼえている。
文科省の「高校生に関する意識等調査」の定義にはやや違和感も抱く。まあ、調査の性質上、対象を制限する必要があるのだろう。

会場で反応が大きかったのは、「学校図書館を巡る様々なトピック」の中の、さまざまなニーズを持った児童生徒へのアプローチの話題の中でのDA I SYやL Lブックの存在だった。真新しい話題ではないが、まだ新潟では実物を見た人は少なかった。

居場所としての図書館、神奈川県田奈高校の「びっかりカフェ」については、みなさんよくご存知だったが、図書館てゲームを行う実践、「テーブルトーク・ロールプレイングゲーム」(TR PG)を使った読書企画を行う学校図書館の事例は、新鮮だったようで、関心を示された方が多かった。

その他、学校図書館を専門にする研究者の少なさは、衝撃的だった。さらにカレントアウェアネスをはじめ、学校図書館の情報のありかを紹介いただき、喜んでいる参加者がたくさんいた。とにかく、資料が充実していた。

途中、振り返りやコメントを記入する場面が設けられていてよかったのだが、ほかの参加者と見せ合ったり、交流したりする場面があると、もっとよかったか。時間の関係でしかたなかったのかもしれないが、せっかくの多様なギミックをもうすこし活用したかった。これは運営側の反省であるが。





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# by nokogirisou | 2017-12-03 09:24 | 本と図書館

リーディング・ワークショップの授業

 11月18日、筑波大学附属駒場中学・高等学校の第44回教育研究会に参加した。
 澤田教諭の「中等教育国語科への個別自由読書の導入」のリーディング・ワーク
ショップの授業を見学した。
 私がこの授業をどうしても見学したいと思ったのは、『リーディング・ワークシ
ョップー「読む」ことが好きになる教え方・学び方』(ルーシー・カルキンズ著 
吉田新一郎・小坂敦子訳)を読んで、日本の高校生に対してもリーディング・ワー
クショップを実践したいと考えたからだ。
 これまでの私自身の取り組みは、「朝の読書」という「毎日読む・みんなで読む
・好きな本でよい・ただ読むだけ」の実践と、授業の最初の10分間読書と、「新
書の点検読書」である。前の2つは、選書に関して生徒に任せるが、読ませ
っぱなしが多かった。たまに読んだ本の中から3冊選んでブックトークさせ
ることもあったが、あくまで「たまに」だった。「新書の点検読書」はこち
らが選んだ20~40タイトルの新書の中から生徒が選書して読んで、レポ
ートするといったものだった。まったくの自由読書の授業は経験がない。
 「リーディング・ワークショップ」はミニ・レッスンやカンファレンスと
いう教員の働きかけがあり、仲間との共有や記録という活動もある。
 澤田教諭がリーディング・ワークショップを取り入れたのは、高校生の不読
率の高さを、学力形成の上からも、人生における有益さからも問題だと考えた
からである。特に読書量と語彙獲得の相関関係に注目し、生徒の読む力や読書
家としての姿勢を向上させたいと考えた。
 澤田教諭の目指す生徒像は、①読むことを人生を豊かにする手段にできる人
 ②よい文章の可能性を認められる人である。そこで、自分の意志で本を選ぶ、
自分の意志で本を読むことを最大限重視している。これは勇気のいることである。
生徒を信じなければできない。私のこれまでの価値観では、授業で読書を取り上
げる以上は、全員に同じようなレベルの本を同じくらいの量読ませなければなら
ないと思っていた。本を自由に選択させるにしてもジャンルを絞った方がいいと
考えていた。
 しかし、今回授業を見学し、本を読む目的も読む本も、読み方も生徒自身に任
せることのすばらしさを実感した。生徒は、リーディング・ワークショップでや
りたいことを決め、その理由を書く。そして本を選ぶ。これはやはり、簡単なこ
とではなかったようだ。筑波駒場の生徒でさえも、最初はなかなか読書を通して
何をしたいか、どんな本を読みたいか、選べなかったそうである。しかし週に2回
続けているうちに自然にできるようになっていったという。選書には授業者と司書
2人が支援することもある。あくまで薦めるが強要しない。
 生徒たちにインタビューする機会があったが、どの生徒も読書を肯定的に考えて
おり、価値を認めている。それぞれ自分なりの基準で本を選ぶことに喜びを感じて
いた。読んでいる本もその目的も実に多様であった。ジャンルを教師が恣意的に絞
らない方がいいことを私は痛感した。
 澤田教諭は、高校生の読む力の格差は大きく開いており、共通教材でこれに対応
するのは難しいという。しかし、現実に共通教材を手放すのは難しい。共通教材の
読み方を伝授するのが、これまでの国語授業の常であった。それをしないのである。
40人の生徒が自分で選んだ本を読み、それに対して教師がコミットし、カンファ
レンスしていくとなると、40人分の教材について教師はやはり把握しなければな
らないのだ。
 今日は澤田教諭は自由読書をしている16人の生徒に声をかけ、カンファランス
を行っていた。そこで次の本の薦めを行ったり、読んだ内容について確認したり、
進捗状況を報告させたりしていた。その語りかけや聞き取りの声は優しく、とて
も静かであることが印象的だった。押し付けや強要がまったくない。
 30分の読書ののち、3人グループで生徒たちは今日の読書を共有する。短い
時間である。その後、各自の読書記録用紙にまとめる。人に話した後で書くと
いう順番も重要だと思う。彼らは話しながら発見をし、よりよく書けるように
なっている。とにかく本について語る彼らの語彙の豊かさ、要約力の見事さに
脱帽である。いっぱしの読書家だった。

 新潟大学の足立幸子先生が助言されていた。日本のこれまでの読書教育は
全員が同じものを読んで同じゴールを目指すものだった。日本の子どもたち
には自分で選ぶという能力が欠けている。ミニレッスンを行ったり、「自分
の読書を考える参考にしよう」(吉田新一郎『よく読める読み手が共通にも
っているスキルとは…』を記録用紙の裏に印刷してあったりすることは、生
徒たちが自分の読書生活を振り返るうえで有効である。
 またリーディング・ワークショップの授業を成功させているのは、教師が
生徒の読
みそうな本を予想して沢山読むことだとも言われていた。この授業をするに
は、教師がたくさんの本を読んで準備する必要がある。

 さて、これを私が実践するとしたら、どこに困るだろうか。それは、一緒
に授業をする他の教員に理解してもらうことだ。共通テストを行っている以
上、教科書の進度をどうそろえるかという問題もある。
 さらに評価だ。澤田教諭は読書の量や内容ではなく、カンファレンスの内
容と提出物を出したかどうかで、ざっくり評価しているという。もう少し、
丁寧に評価したいが、教師一人が、40人分の読書量と内容の看取りは無理
だ。
 今の学校文化の中でリーディング・ワークショップを取り入れるとなると、
特別編成授業のときや、考査後などの余裕のあるときに、オプション的に行
うしかないだろう。学校全体で授業観を共有していかないとレギュラー授業
にはとりいれられないだろう。ここが私が今後実践する上での課題である。
 

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# by nokogirisou | 2017-11-19 01:14 | 本と図書館

鍵冨弦太郎秋のアンサンブル

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鍵冨弦太郎の演奏会に行った。今回はピアノに小澤佳永さん、オーボエに若山健太さんを迎える。
プログラムが素晴らしく、MCがわかりやすく、演奏が魅力的で、集中して聴くことができた。

第一部
グラナドス ヴァイオリンソナタ 未完
スヴェンセン ロマンス
メンデルスゾーン ソナタへ長調 1838

第2部
テレマン ふたつの楽器のための6つのカノンから
バッハ オーボエとヴァイオリンのための協奏曲
二短調BWV1060

グラナドスのソナタとスヴェンセンのロマンスは初めて聴いたが、メロディが美しく、素敵な今日だった。澄み渡るようなイメージと、鍵冨さんが言っていたが、聴いていて本当に心が晴れ渡る。
作曲家の人生の話や、曲についての説明が、ちょうどよく私たちを音楽の世界に誘ってくれた。新たな曲との出会いはうれしい。この曲を弾きたい、という演奏者の気持ちが伝わってくる、自信と愛に溢れる演奏であった。






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# by nokogirisou | 2017-11-04 21:32 | 音楽

あららふあんたじーか!?

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11月2日のりゅーとぴあスタジオAでは、4人のプレイヤーと2人のパフォーマーによる不思議な会が催されていた。昨年も伊奈るり子さんのお誘いで、この会に参加したが、あの沈黙と爆笑がまた返ってきた。

今年は、I部は、神話をテーマにソロとパフォーマンス、
II部はお酒にまつわるたくさんの曲のアンサンブルとパフォーマンスだった。
選曲とアレンジが楽しいのである。
Ⅰ部
シランクス ドビュッシー
ライト イン ダークネス エベリン・グレニー
自由神 川崎祥子
天岩戸 瑠璃丸

Ⅱ部
テキーラ
酒とバラの日々
ウイスキーがお好きでしょ
スウィートメモリーズ
美味しい水
茶色の小瓶
Volare

クラリネット吹きの伊奈さんも、ユーフォルビアの川崎祥子さん、一橋靖子さん、本間美恵子さん、みなさんとても楽しそうに楽器を演奏する。

四ツ谷ハウスというユニットのパフォーマンスとは、肉体派ダンスなのだ。これはとても奇妙なダンスなのだが、ブロ的な肉体の動きは見事だ。私個人としては、音楽だけで十分なのだが、みなさんは、音楽とパフォーマンスのコラボを楽しんでいた。



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# by nokogirisou | 2017-11-03 15:32 | 音楽

鍵盤のつばさ ゲスト三浦友里恵

 たまたま車を運転していたらNHKFM「鍵盤のつばさ」の時間になった。
 ピアニストの三浦友里枝さんがゲスト出演していた。クールな声で彼女だ
とわかった。この番組のホストの加藤昌則と彼女がピアノ談義をするのだ
が三浦のピアニスト評がとても興味深かった。
彼女が現在メロメロ夢中だというピエール・ロラン・エマールのピアノ
演奏は初めて聴いたが、リゲティの練習曲第9番「めまい」はおもしろ
かった。まさにめまいを催しそうな現代曲なのだが、ひきつけられた。
曲もなかなかなのだが、音色、響きが特徴的だった。
譜面もめまいをおこしそうなのだそうだが、エマールは初見でこういう
現代曲をさらさら弾いてしまうという。
 それから内田光子のモーツァルトのピアノソナタ21番の1楽章も
素敵だった。内田さんといえばモーツァルトと言われるわけがわかる
ような素敵な演奏だった。三浦さんは「集中力」という言葉をつかって
いたが、曲への入り込み方が内田ならではなのだろう。
 ピアノ曲を演奏を比較しながら聴くのは面白いと改めて思った。
なかなか現実にはじっくり聴き比べできていなかった
のだが、またやってみたくなった。


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# by nokogirisou | 2017-09-17 06:09 | 音楽

映画「砂の器」1974

1974年の松竹映画
映画作品として、構成のうまさに圧倒させられてしまう。
この映画にはときどき字幕が出るのだが、臨場感ある言葉が
的確なタイミングで打ち出され、これが見る者を一層、映像
に引き込む。

 羽後亀田の捜査→蒲田駅での殺人事件の状況→捜査→
中央線上から布切れを撒く女のエピソード→被害者の身許が
わかる→東北弁と出雲弁の共通点の発見→出雲の亀崇村の
調査→布切れからO型の血痕発見→亀崇村史を読む→伊勢
に行き被害者三木の東京行きの動機を解明→石川県大畑村
での聞き取り・本浦親子の調査→和賀英良の「宿命」の作
曲が進む→大阪での和賀英良戸籍調査→事件の全貌が明らか
にされる合同捜査会議と「宿命」の初演のシーンが並行して
描かれる。

 最後に一気に物語が展開し、捜査の段階では点だったこと
が、丹波哲郎扮する今西刑事によって線に面にして語られて
いくところが、圧巻だ。日本の各地を廻る旅が、有効に使わ
れていた。

加藤剛演じる和賀英良は影があり、孤独を背負って何を考えて
いるのかわからない音楽だけに生を見出す男を演じていた。
ピアノの演奏は吹替だろうが、まるで彼自身が演奏しているよう
に見えた。
 タイトルの砂の器の意味するものが、とても深く、映像として
は最初と、今西刑事の想像映像の中での秀夫が川辺で砂の器を作
るシーンの2回出てきて、これはとても意味深である。「砂の器」
とははかないものの象徴なのだろうが、それだけなく、崩れゆくこ
とをわかっていても器を作らずにおられない。私たちのむなしい欲
望をも表しているのかもしれない。

 伏線を盛り込むのは映画の常道だと思うが、うまく伏線が埋め込
まれていた。
それだけでなく、どうでもいいシーンに私はけっこう魅力を感じた。
二人の刑事が、駅前の食堂でどんぶりものを食べるシーンや、なかな
か捜査が進まない中でうりを食べるシーンが妙に印象に残っている。
食堂車や列車の座席、純喫茶、警察署内の雰囲気に「昭和」を感じる。
そして、喫煙シーンがなんと多いことか。当時はみんなスパスパ吸っ
ていたのだ。

 この映画はハンセン氏病の差別と偏見と、貧困という重いテーマを
取り上げた作品だということが、最後になって明らかにされていく。
ハンセン氏病の本浦親子の悲しい放浪の旅の様子は今西刑事の想像、
推察という形で映像化され、秀夫少年の目の光がとても印象的に映し
出されていた。
 警察が、足でかせいで調査し、捜査をすすめるアナログさも興味
深かった。インターネットと交通網の発達した現代では想像できな
いくらい、出張も捜査も大変だったのだろう。逆に現代では個人情
報云々の問題でなかなかできないだろうと思われる、聞き込み捜査
や戸籍調査、飲み屋でのおしゃべりなどが、事件解決に役立ち、物
語展開に重要な役割を果たしていた。
 
音楽もこの映画の魅力だ。
挿入曲と最後の「宿命」の演奏が、うまくかみ合い、映像を包み込
んでいてこの映画を魅力的にしている。
 菅野光亮作曲のピアノと管弦楽のための組曲「宿命」はメロディ
アスで悲劇性があり、この映画には合っていたと思います。音楽も
時代を映す鏡で、菅野の「宿命」がリアルに昭和46年の空気を
表現している。
 逮捕状を持ってコンサート会場を訪れた今西刑事の「彼は今、父
親に会っている。
彼はもう音楽の中でしか父親に会えない」という台詞が記憶に残って
いる。
 

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# by nokogirisou | 2017-08-06 01:56 | 映画

反田恭平ピアノ・リサイタル2017 全国縦断ツアー

2017年7月21日 18:30より
長岡リリックホールで行われた、反田恭平ピアノ・リサイタルを
聴きに行ってきた。NHKFM「きらクラ」の湯川れい子さんがゲスト
だった回に、反田恭平の「献呈」(シューマン リスト編曲)を
聴いて、反田に興味を持ち、調べたところ、長岡に来ることがわか
ってすぐにチケットを購入した。
 座席は上手のバルコニー席だった。したがって反田の手元は見え
ないが、弾いている表情はよく見えた。会場は満席。
 
 プログラムは
1部
スクリャービン:幻想曲 ロ短調 Op.28
ドビュッシー:喜びの島
ドビュッシー:ベルガマスク組曲より第3曲「月の光」
シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化Op.26

2部
ショパン 4つのマズルカOp.17
第10番から13番
ショパン 12の練習曲
     
アンコール  モーツァルトの トルコ行進曲と
       シューマン作曲 リスト編曲 献呈

 ドビュッシーの「喜びの島」はリズム感があって新鮮だった。「月の光」は
テンポがゆっくりのように感じた。
 前半は会場も反田さんもやや固い感じだったが、休憩後は場が和み、
反田さんも興にのった感じて生き生きとしたピアノ演奏になった。
 汗をふきふき自分の世界に入り込んで引いているのがわかった。
私はスクリャービンとショパンの練習曲が特に気に入った。

 22歳には見えない貫禄を姿と音から感じた。


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# by nokogirisou | 2017-08-06 01:27 | 音楽

読書へのアニマシオン

仲間とモンセラット・サルトの読書へのアニマシオンについて仲間と語り合った。これまでたくさんの本と作戦の試みを試してきたが、やはり汎用性があって有効な作戦はかぎられる。


   また、アニマシオンは単発でイベント的に行うよりも、継続的に計画的に行うのがよいと私は考えている。新潟では一部の小学校で毎年継続的にアニマシオンを行なっており、それをきっかけに児童たちが積極的に自分のペースで好きな本を読めるようになることを期待している。



   そもそも、子どもがどのように本をよめるようになるかを考えてみよう。まず音読ができて楽しめて、あらすじを捉えられるようになり、登場人物の特徴を描写やはり会話から読み取れるようになり、物語の因果関係をつかめるようになり、自分がその本をどう読んだか、感じたかを考えるようになり、批評的に読めるようになっていく。


   アニマシオンの70の作戦はそれに対応している。まずは、絵本でアニマシオンをすることが多い。幼児や低学年生のために作戦26「ここだよ」作戦1 「読み間違えた読み聞かせ」があり、あらすじ確認のために作戦29「物語を語りましょう」作戦55「聴いた通りにします」などが有効だ。作戦53「よく見る、見える」など、挿絵を読み取る作戦もできる。


   次に読みものを使って作戦3「いつ?どこで?」作戦36「物語ではそう言っている?」や作戦12「前かな後ろかな」などで、物語のあらすじや構成を確認する作戦、作戦31「どうして」作戦35「その前に何が起きた?」作戦39「何のために」など、物語の因果関係を確認する作戦へと進んでいく。


  一方で物語の全体をつかんでタイトルをつける作戦11「これが私の作った書名」や、大筋とは関係ないが、登場するものや動植物への意味合いを考えさせる、作戦30「なんてたくさんのものがあるんでしょう」も小学校中学年から高学年にあたって有効だ。


   そして次第に、思春期の子たちに対して作戦6「本と私」や登場人物の行動の訳を考える作戦34「彼を弁護します」、本全体を様々な側面をとらえていく作戦24「だれが、何を、どのように」などの作戦ができるようになり、読書会のような、参加者が主体的に語れる場になっていくとよいのではないか?


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# by nokogirisou | 2017-07-08 10:34 | 本と図書館

ラ・フォル・ジュルネ新潟2017

今年のラ・フォル・ジュルネもあっけなく終わったが、昭和の日29日一日中、祭りをたっぷり楽しめた気がする。
加羽沢美濃さんのピアノ、横坂源さんのチェロ、村治奏一さんのギターを聴いた。今年のテーマはダンス。

私が最も印象に残っている横坂さんの演奏について書こう。横坂さんは、演奏前にインタビューを受けていた。
彼の音楽を語る言葉、比喩に私はいつも引き込まれる。的確に探るように言葉を選んでいく。あたりまえなのかもしれないが、楽曲について構造をよく捉えていて素人相手にわかりやすく教えてくれることに感心させられる。その後、彼はチェロを抱えて、演奏会場に向かった。途中、何人かの市民や知人が話しかけていた。私もたまたま話しかけようと思えば話しかけられる位置にいた。しかしできなかった。これから本番を迎える横阪さんにミーハーな声がけをしてはいけないと声がしたのた。

演奏は、バッバの無伴奏チェロ組曲第6番と、黛俊郎のBUNRAKU。ある意味共通点があり、ある意味正反対の曲で挑んできた。どちらも私にとってそんなに馴染みのある曲ではない。バッハの無伴奏チェロ組曲の中で、6番は私が一番聴いた回数が少ない。黛さんの曲は、横坂さんの演奏会でしか聴いたことがない。横坂さんにとって、こちらの曲は、馴染みの得意曲なのだろうと思う。

横坂さんは、あえて挑戦してきたのだと思った。それは、演奏のあと、彼自身も明かしていた。6番から今まで逃げていたが、今回初めて演奏したと。
彼の演奏は滑らかに耳に流れこむというより、私にとっては、耳にひっかかる、気になる演奏だ。だからこそ印象に残る。緊張感ある、ごつごつした演奏だった。

アンコールはバッハを二曲サービスしてくれた。こちらはメジャーな安心して聴ける曲であった。デザート効果で、客はみな満足しているように感じた。

横坂さんの演奏家としての気骨を感じる時間だった。






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# by nokogirisou | 2017-05-04 19:34 | 音楽