ノルウェイの森(映画)

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 レイトショーで一人、「ノルウェイの森」を見てきた。
夜の映画館は物寂しかった。座席はガラガラなのだが
館内が暗くなってから、外国人の女性3人がやってきて
足をふみながら、私の前を通って真ん中のシートに座っ
た。それが、なんだかおかしかった。

 映画は、原作の忠実な再現を含んだ要約だった。
要約だから、原作を読んでいない人にとっては、突撃隊や
永沢さんの登場がやや唐突に感じるかもしれない。
残念ながら、蛍のシーンは出てこなかった。
 しかし映像は美しかった。私が原作を読んだときには頭
の中になんとかんくイメージしていた1967年~1969年
の雰囲気が映像で生々しく目の前に出てきて、それは感
動した。
 登場する人たちの服装や、家具や、街の雰囲気も大学
の様子も40年前のものだと感じさせた。大学寮の様子が
本当にリアルだった。機動隊やヘルメットをかぶった学生も。
 ワタナベの雰囲気は、やはり松山ケンイチしか演じられ
ないだろうと思った。ただ「やれやれ」という台詞はなく、
「もちろん」というのが多かった。孤独で坦々としているのだ
が、愛する相手に対して誠実であろうとする愚直さ。

 セックスは重要な要素ではあるが、映画の中では官能的
なシーンはない。胸より上のシーンしかなく、しかも短い。
これはとてもよかった。直子も緑もワタナベの魅力を十分
見抜いている。直子は精神を病み、「愛」に懐疑的である
不安な様子を菊池凛子が好演していた。
 京都の山奥の療養所のシーンは美しく、象徴的であった。
これは私の描いていたイメージとは違った。
 一番の違和感はレイコさんで、しわがなくきれいすぎた。
直子の自死の後、ワタナベのアパートを訪ねてきたときの
様子も原作とは違う気がした。19歳年の差がある二人が
交わるのだが、これは、ワタナベがあの世の直子と交わる
ことを意味していると思っていた。レイコという肉体を借りて
ワタナベと直子が交わっているのだと私は解釈していた。
しかし、映画ではそうではなかった。レイコが療養所に入っ
た七年前を取り返すために二人が交わったことになっている。
 男女が交わるとは何かと考える。
 セックスは愛の一部ではあり、象徴であるが、すべてでは
ない。それだけで愛は終わらない。愛は魂の問題、共に生き
て行く問題と絡み合う。だから、直子は死を選んだのだ。
 
 直子の死をとことん哀しみ、受け入れたあと、ワタナベは緑に
連絡する。しかし「今どこにいるの?」と緑に尋ねられてワタナベ
は答えることができない。「僕は今どこにいるのだ」と頭を抱える
ところで映画は終わる。
 原作どおりだ。そして長いクレジット。
 
 映画は、小説を超えることはできないのか。
 映画は小説を超えた表現にならないと映画として独立しない。
だから小説の映画化はむずかしいと思う。

最後に、細野晴臣と高橋幸宏、そして糸井重里がさりげねく
出演していたのがとても興味深かった。
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by nokogirisou | 2011-01-02 10:47 | 映画
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