オルガン と 『聖夜』佐藤多佳子

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 オルガンの絵が描いてあったので手に取った本。
オルガンは、私にとってはピアノに比べると馴染みの少ない楽器
である。しかしふち思い出すとピアノを買って貰う前はずっとオルガン
を弾いていたのだった。私の音楽との出会いはヤマハオルガン教室だった。
しかし私はオルガンの音が好きでなかった。残念なことに。
 パイプオルガンでバッハを聴いたとき、教会の賛美歌の伴奏を
オルガンで聴いたときには、その響きに感銘を受けないではなかった
が、なんだか遠い楽器のような気がしていた。非日常の楽器だった。
 ところが、この小説を読んで一気にオルガンに興味を持った。
思わずメシアンの『主の降誕』から『神はわれらのうちに』の入ったCDを
注文してしまった。メシアンで思い出すのは「世の終わりのための四重奏曲」
だ。しかし今は『神はわれらのうちに』を聴いてみたい。
 この曲の楽譜にメシアンはメモ書きを残しているという。
「まず、感動と誠実さ。それを深く明瞭な方法で聴衆に伝える」

 小説の舞台は高校のオルガン部。そんな部活動があるのかと驚く。
モデルは青山学院のオルガン部らしい。
 母が不在で母を不協和音と感じてきた高校3年生の鳴海の語りで
物語りは進む。鳴海が素直になれない原因の一つは、母親が10歳の
鳴海を置いて、恋人とドイツに行ってしまったことである。鳴海はいつも
「捨てられた」という思いと喪失感をひきずっている。そしてこの母がオル
ガン弾きで、鳴海にオルガンとピアノを教えて人であった。
 またもう一つは過ちを犯さない「正しい」「優しい」父の存在だ。鳴海はこの
父を避けている。この父はその母である祖母に一度も叱られたことがない
という。悪さをしたことがない。
 祖母は鳴海に言う。
「お父さんを見習う必要はないよ。つらいよ。あの子の人生は。いい子である
必要はないね。どんどんやりなさい。悪さをしなさい。そのほうがいい。でもね、
おじいさんのように、明るく悪さをするといいよ。人を傷つけないようにね。」
 これは名言だと思う。
 鳴海は、自分にいらいらしていて、自分を嫌なやつだと思っていて、人を
好きになることがわからない。けれども、後輩の天野とは「オルガンを介して、
言葉では表現できないようなつながり」があると感じている。
 こういうつながりをとてもうらやましいものだと思う。
 
 私はいつも言葉に頼ってしまう。言葉でつながりや愛を確認したいと思って
しまう。しかしそれはいつも失敗する。音楽でつながる何かがありそれを
確信できるとしたら、それはすばらしいことだ。もしかしたら、音楽などなく
ても、一緒いいるだけでつながりは感じられるものなのかもしれない。
 
 一匹狼のような鳴海は、オルガン部の後輩の天野や、友人の深井と
音楽を分かち合うことに喜びを感じるようになる。
 そして、父から受け取った母からの手紙の束をいつか読もうと思って
いる。鳴海は確実に成長している。

    今、弾いた音は、もうどこにもない。
    音は、生み出したと同時に消えていく。
    生まれて必ず死ぬ人間と同じ。
    記憶にだけ残る。
    その記憶に、新たな音を重ねていく。
    生きること。
    弾くこと。         p219

 
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by nokogirisou | 2011-01-29 00:53 | 本と図書館
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