上野千鶴子「声」

 上野千鶴子の学術論文以外の著述はできるだけ読むようにしているが、
彼女のエッセイと俳句を私は秀逸だと思う。
 エッセイ集『ひとりの午後に』はNHKの「おしゃれ工房」という雑誌との
コラボで生まれたという。この本についてはまたのちほど書きたいが、
その中の「声」というエッセイにとても共感を覚えたので、忘れないうちに
記しておこう。
 上野はヴォーカルが聴けなくなったプロセスをテープを逆戻しするよう
にたどって、女性ヴォーカルを聴くようになっていったという。
 私と共通なのは、彼女がオーケストラを聴けなくなり、室内楽が好きだ
という点。楽器の中で管楽器がだめになったというところ。管楽器は息を
吹き込む楽器だからだろうか。ヴォーカルは論外になったという。
 私もあるとき、オーケストラがまったく聴けなくなった。CDを流しても
おしつけがましくて、止めてしまうということがあった。今はライブやFMな
らオーケストラを喜んで聴くが、CDを部屋で聴くのは必要に迫られたとき
と、ライブの予習と復習(笑)のときである。
 人の声はだめだった。オペラのアリアも歌曲も聴いていて苦しくなった。
特に女性の声がだめだった。まったく歌をきけない時期があった。

 それが聴けるようになったのは、上野千鶴子と同じくフィリッパ・ジョルダーノ
を聴いてからだった。サラ・ブライトマンも聴いた。そして、以後人の声を聴け
るようになった。なぜそうなったのかわからない。吹奏楽も好きになった。
ただし、上野も書いているように女性の歌声を聞くには、聴く側の体力と気力がいる。

 音楽を聴くという、ただそれだけのことが聴く側の精神や体力ととても大きく
関わることを痛感する。
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by nokogirisou | 2011-06-25 09:28 | 音楽
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