あいまいな存在としての「充て」司書教諭

 平成15年1月21日付けの文部科学省初等中等教育局
児童生徒課長通知では「学校図書館司書教諭の発令に
ついて」と題され「学校図書館司書教諭については、
平成九年の学校図書館法(昭和二八年法律第一八五号)の
改正により、平成一五年四月一日以降は、一二学級以上
の学校には必ず置かなければならないとされたところです。」
とある。
 10年経過するが、司書教諭の位置づけはあいまいなまま
である。学校司書の法制化の問題とも絡み、この問題は議論
されぬまま微妙な状況に放置されている。司書教諭は司書の
仕事を奪う存在ではない。私自身は互いの仕事は補完的なも
だと考えている。高校現場では、発令はされたものの、学校
図書館に無関係な校務分掌に所属する司書教諭も多数存在し
ているのだ。
 私立学校においては、専任司書教諭が存在するが、公立で
は専任どころか授業時数の軽減もはなく、研修も不十分だ。
司書教諭に発令はされたものの、十分その役割を果たしてい
ない者、積極的に学校図書館の仕事に関われない者、関わっ
ていない者が多数である。
 私自身、司書教諭を発令されていたが、そのことを全体
の職員の前で紹介されることはない。また「司書教諭として
の仕事は○○でしっかり職務を遂行してほしい」などと校長に
言われたこともない。他の職員に司書教諭としての活動を期待
されていると感じたこともない。多くの職員は「司書教諭とは
何するものぞ?」と疑問を持ったままである。かくして中途半端
な存在のままなのだ。
 
 しかし、実は問題はその役職にあるのではないのかもしれない。
そもそも、学校図書館が職員に認知されていないのだ。せいぜい
学校図書館は、趣味の読書人に本を貸し出すところだと考えられ
ているのだ。だから学校図書館には、本の装備と貸出作業をする
事務職がいればいいと考えられてしまうのだ。これは大きな誤解
である。生徒と関わる人、生徒に本を差し出せる人がいなくて
どこが学校図書館だろう?また授業で図書館を利用しなくて、どう
して学校図書館がインフラだといえるだろう?
 
 「学校図書館は学びの中心」というのは、建前なのである。実際
にそのように考えている高校教員はどれほど存在するだろうか。
図書館に比べ、進路指導室や保健室の方がずっと存在感があり、
必要性が高いと考えられている。もしかしたら、図書館の重要性を
うすうす感じているのかもしれないが、現実には、一斉授業に追わ
れ、テストで測定できる学力向上のためにあくせくしてしまい、学校
図書館を利用する余裕を失っているのかもしれない。
どんなに学習指導要領が変わり、読書や図書館利用の必要性が盛り
こまれても、現場の意識はあまり変わっていない。その現実に
いつもむなしくなってしまうのだ。
 いつになったら、このあいまいさから脱出することができるの
だろうか。胸を張って堂々と司書教諭の仕事をすることができるの
だろうか。
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by nokogirisou | 2013-03-28 00:25 | 本と図書館
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