無意識のバランス感覚

 バランスの悪い人間で、「過剰」になりすぎて重たがられ
たり、不器用でいびつな行動ばかりしている。(ここでいう
「過剰」とは斎藤孝的な肯定的なニュアンスはない。偏って
いるということ)
 バランス感覚とは、究極の美をもとめる心だと思う。
 「美」に憧れながらも自身は「美」から無縁。

 ところが、体の中ではバランスを求めていることを知った。
三島由紀夫をしばらく読んでいたら、どうしようもなく太宰の作品を
読みたくなったのだ。2人は対極にある作家である。
フランス料理ばかり食べていたら、お茶漬けを食べたくなるような
感覚なのかもしれない。
 手にしたのは『津軽』。昔途中で投げ出した作品なのだが今回
は最後まで読めた。そして、修治が乳母のたけに再会したシーンは
どうしても涙なしに読めなかった。再会のときのたけの反応がとても
リアルで「再会ってこうだよな」と共感できた。
 三島の作品は、本当に緻密で美しい。「うまい」と思わずうなって
しまうこともある。けれど泣けない。涙を流して読んだことはない。
太宰の文体はこちらの人情に訴えかけてくる。視覚的な美はない
が、太宰の声が聞こえてくるような聴覚的な作品だ。
 
 三島的なものにあこがれながら、自分は太宰に近いように感じている。
 田舎っぽくて不器用なのだ。そのふりをしている。わざとおどけずに
いられない不安感。
 こんなこと書いたら、太宰は怒るかも知れない。みーんなポーズさ!と
一笑にふされるかも。
 
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by nokogirisou | 2005-08-26 23:24 | 本と図書館
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