『村上朝日堂はいほー!』

 
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 どこまで本音なのかはわからないのだけれど、読みながら
村上氏の声が聞こえてきそうなエッセイ集である。ただしこれ
らは1983年から5年間の声なのだが。しっかり笑わせてくれ
くだらないことをまじめに考えさせてくれ、私はこの手の文章が
けっこう好きである。 その中でもこの本はとっても気に入って
いて、何度も読み返している。今日はその中からほんのちょっと
だけ書く。



 「青春とよばれる心的状況の終わりについて」
どきっとするタイトル。村上春樹が40近いときに書いた文章。
村上氏が青春を失ったと思った瞬間は30歳のときだという。
麻布の洒落たレストランで彼がずっと信頼してきた何かが失わ
れ、損なわれてしまった。その何かとは「留保条項なしの手放し
の無防備さのようなもの」だという。村上春樹の昔つきあっていた
ガールフレンドとそっくりの女性との短い会話によって、あっけなく
「ある種の心的状況」が消えてしまったのだ。
 このエピソードには考えさせられてしまった。自分にもまた大事
に大事に傷つかないように大事にしてきた「心的状況」というのが
ある。「ある種の無防備さ」という言葉をそのまま借りたいくらいの。
幸いなことに、まだ自分はそれを損なっていないと思っている。しか
し、そうであるということは、同時にある種の「苦しさ」をずっと持ち歩
いていなければならないということでもある。
 「チャンドラー方式」
 村上氏の記憶するチャンドラーの小説の書き方
1 まずデスクをきちんと決めなさい。
2 そして毎日ある時間をテスクの前ですごす。
3 たとえ1行も書けないにしても、何もせずにぼおっとしている。
  そのかわり他のことはしてはいけない。
  「必ずいつかまた文章が書けるサイクルがまわってくる」
 これは、あらゆることに応用できるような気がする。自分のめざす
 仕事において。
   「恋に落ちなくて」 
 〈そういうものだ〉〈それがどうした〉という言葉は人生の(特に中年
以後の)二大キーワードだという。昔ここを読んだとき、私は声を出し
て笑ったことを覚えている。でも今は笑えない。
 「恋というのは既存のシステムを超えた行為なのである」この最後
の一行を昔は「つまんないな」と思って読んだが、今は深く頷いて
読み終えている。
  
 
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by nokogirisou | 2005-10-11 03:48 | 本と図書館
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