認知症、病

私は長らく両親とうまくいっていなかった。結婚後同居しながらも、若いころは派手な喧嘩をした。それは親からの「お前は親をないがしろにしている。」「親に対する感謝がない」という台詞によって始まった。私たちの生活に対する干渉に耐えられないと、何度思ったかしれない。別居の計画をたてたこともある。親の誤解や私の態度の悪さで喧嘩は深まるのだが、どんなに理路整然と説明しても、いや、理屈を論理的に並べれば並べるほど、親は憤った。

どうしてそうなるのか、長らくわからず悩んできたが、数年前に、ようやく親にとっては正しいか正しくないか、良いか悪いかは問題でなく、とにかく自分たちに関心を持ってほしい、優しくしてほしいだけなのだと知った。以後喧嘩もなくなり、親が私の生活に口を出すことはなくなった。何という単純なことに長く気づかなかったのだろう しかし、それでも私の中には、若いころに受けた傷が残っていて、親を心から愛せなかった。心配はするが、心を開けなかった。

ところが、母の認知症が進むにつれて、過去のことなどどうでもよくなった。自分の夢のいくつかが叶えられなかったことなどどうでもよくなった。

さらに、母が転倒し、肺の病が発覚し、入院生活が始まってから、心から母を愛おしくなった。わけのわからなくなった母を誠心誠意看病する父を心から尊敬するようになった。忘れかけていた、子ども時代の母との温かい交流、昔重たいと思っていた母の祈り、母からの私を心配するたどたどしい手紙の文面などを思い出した。要するに母の認知症と病の現実により、私のいびつでねじれていた心がほぐされていったのた。どうしてそうなるのかわからない。父がときどき酒を飲みながら、昔話をする。母の若いころの苦労話、そして私が彼らのもとに来た時の話。聞いたことのあるものもあれは、初めて聞いた話もある。これまで、こだわってきたこと、許せなかったことが、どんどんどうでもよくなっていく。

人と人との関わりは、時間によって左右され、理屈でなく感情によって変化していく。意地になることをやめ、自然に任せているとうまくいくこともある。

自分自身が 年をとるということ、そして母の認知症と病、避けたいことであったが、それらが思いがけず心を浄化してくれてありがたく思っている。

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by nokogirisou | 2016-12-24 09:33 | 日々のいろいろ
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