父親としての夏目漱石

 この夏は、わけあって、夏目漱石の小説を読んでいる。
「三四郎」「それから」「こころ」と読みおわった。これらの作品を読
むのは、実はもう5回目くらいになる。それでもまた今回発見があった。
飽きずに何度も読ませる力がこれらの小説にある。ふだん私は小説の
再読はしないので、漱石の作品は例外中の例外だ。

 今回読んだ筑摩文庫版の『こころ』の後ろには、息子の夏目伸六の
エッセイが掲載されていた。
 伸六氏は父親である漱石にほとんど愛情らしい愛情を抱いていなかっ
たという。小さい頃から、彼は父親の顔色をうかがって生きてきたそうだ。
「病気のため」だというが、漱石は突然機嫌を悪くして、子どもたちを怒鳴り
散らしていたらしい。突然やってくる怒号と一撃。小さかった伸六氏の心に
は傷として残ったに違いない。たとえ、それが漱石の病気のせいであったと
しても…。
 伸六氏ほどではないが、私もいつ怒鳴られるかびくびくして生きてきた。
妙に伸六氏のエッセイは、しかしそこで終わらない。彼は父親の死後、その
作品を読むにつれて本当の父親の姿に親しみを覚えるようになったという。
死後にならないとわからないことがあるのだ。客観的に冷静にその人のこと
を考えられるようになるには、また時間がかかるものだ。  
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by nokogirisou | 2006-08-13 13:36 | 本と図書館
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