『幸福に驚く力』清水眞砂子著 かもがわ出版 

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  『ゲド戦記』(ル・グウィン)との出会いが清水眞砂子との出会いであった。
以後、清水さんの著書や講演に注目するようになった。
2003年の1月26日に白根学習館のラスペックホールで清水さんの講演を伺ったこともある。その時の背筋の伸びた、相手の目を見てしっかり話される姿勢に圧倒されたことを覚えている。
この本は、過去10年に話された5本の講演録という体裁をとっていて、清水ファンにはおなじみの内容、読んだことのあるエピソードなどが重なっているのだが、それでもしっかり胸に迫ってくる。逆に繰り返し語られることで清水さんのエッセンスが伝わってくる本だと思う。
ここから私が受け取ったものはたくさんある。私がこの本を通してずっと考えていたのは次の3つの点だ。
1つは大人としてどういきるべきか
2つめは物語とは何か
3つめは言葉とは何か
である。
1つめ
「人間って、自分で選んでいるつもりだけれど、実は選べることなんて、本当に
わずかしかないということが、やっとわかってきました。むしろ、私たちが生きていくことは、本当のところ、外からの要請に応えていくことではないだろうか。」p31
→「人がしてくてくれない」
   「○○がああなってくれない」
    と人のせいにしたり、人に求めたりすることばかりが何と多いことか。
    自分の責任を自分で引き受けることはとても大切なことだと思う。
    責任を引き受けるとは何もかも自分で解決しようとすることでない。
    自分で動き出して「人に橋をかけていくこと」が大切なことのように思う。
    人とつながっているか。人を信頼しているか。人に希望を持っているか。
   自分の生き方を振り返った。
2つめ
「経験した驚きや不思議を心の中に収めるために物語はある」p51
私たちは物語を介して世界と関わっている。
「生きるモデルを提示してくれる」(大江健三郎)のが物語だと私も思う。
 人生を肯定的に生きるのはエネルギーが必要
 「児童文学は幸福に目を凝らしている文学だ。」p82
生きることに意味があることを前提にしているのが「物語」
「人間って、案外おもしろいぞ」と思うほうがエネルギーがいる。p153
私は20代の頃、「意味を求めすぎているのではないか」と言われたことがあった。しかし生きるということは意味を見つけていくことなのではないかと改めて思っている。

 私たちはどちらかというと本を読むことに価値を起きすぎている傾向がある。
 本を読まなければという世の中に筆者は否定的だが「それでも本はあった方がいい」という。  本のおかげでいろいろな思いこみから自由になれるという。これは同感。

3つめ
翻訳とは「ことば」を考える作業だと思う。
「私は、言葉を使うときには、それは誰にとっての言葉なのか、誰にとってのプラスなのか誰にとってのマイナスなのか、ということを気をつけるようになりました。」p127 にははっとさせられた。翻訳とはただ横のものを縦にするだけではない。
「テナーの生きる姿勢を表す言葉が日本語にない」p226にはショックも受けた。ふさわしい日本語がない、そういう日本語がない。翻訳家はまだその文化のない日本にどう伝えていくかという大きな課題を背負っている。言葉にはその言葉を使う人がどう生きてきたかが表れるものなのだ。

タイトルの「幸福に驚く力」はp188に登場する。日常にある幸せをしっかり受け取る力があるのは子どもと老人だという。大人は日常の生活そのものに追われていて、幸福には鈍感になっているのかもしれない。
 私自身も、日常性に追われる中年期にあるいのだが、身の回りの小さな優しさや、ささやかな言葉、小さな変化に敏感でありたい。
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by nokogirisou | 2007-07-02 21:30 | 本と図書館
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