寿命について

 突然の訃報を受け、知人の通夜に参列した。入院中とは聞いていた
が、まさかこんなに急に。残された子どものことを考えた。
 会場は黒い人で埋め尽くされ、ざわざわとしていたのだが、スクリーン
に元気な頃の知人のスナップ写真が映し出されると、急にしんとして、
皆がスクリーンに集中した。鼻をすする音が響く。司会者の説明の声
だけが部外者のようで、そらぞらしく響いた。
 長いお経を聞きながら、自分の死のことを考えた。このごろ自分も
死といつも隣り合わせに生きていることを感じる。今日は、健康に平
和生きていられても、明日何があるかわからないという思いが最近
強い。年をとったからだろうか、災害や事故や事件が多いからだろう
か。焼香し、坊さんによる講話を聞いた。坊さんの話は、寿命だけは
どうにもならないというものだった。当たり前すぎてふしぎな気がした。
聞いたことのある話だ。「徒然草」の一節を想い出した。坊さんは知人
のことを知らないらしく、一般論しか話せないことを苦痛に感じている
ようだった。こんなに懇切丁寧な寿命の話は久しぶりだった。
 代わって喪主の御礼のことば。ここで会場の空気が変わった。マイク
をもった連れ合いの方は、饒舌に二人の出会いからこれまでのことを語
られた。10年来の静かな闘病のこと。完治の宣告を受けて、二人で祝杯
をあげてわずか1年ちょっとで再発したこと。子どもたちのこと。家族4人
の時間を大切に今日までやってきたこと。入院中、どんなに抗ガン剤治療
が苦しくても、彼女はいつもひとりで静かに耐え、つらさを家族にぶちまける
ことはなかったという。そして家族で別れのときを迎えられたことは幸運だっ
たと…。語らずにいられないという思いが伝わってきた。会場のあちこちで、
鼻をすする音がした。隣の方の涙がなんども落ちるのが見えた。自分も
また自然に泣いていた。会場の思いが一つになっていることをこの瞬間感じ
た。
 

 
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by nokogirisou | 2007-08-23 04:18 | 日々のいろいろ
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