『暮らしの哲学』池田晶子著 毎日新聞社


a0023152_22293523.jpg
 この本の帯の引用と表紙の写真に惹かれた。
 昨年2月23日彼女が腎臓ガンで亡くなったときはとてもショックだった。
彼女の変人ぶりは、とても勇気づけられるものだったし、彼女は
ずっと気になる書き手であったからだ。これは彼女が死ぬ直前まで書
き続けた「サンデー毎日」の連載エッセイをまとめたものだ。
 帯の引用文にはこうある。
「人生は、過ぎ去って還らないけれども、春は繰り返し巡り来る。
一回的な人生と、永遠にめぐる季節が交差するそこに、桜が満開
の花を咲かせる。人が桜の花を見たいのは、そこに魂の永遠性、
永遠の循環性を見るからだ。それは魂が故郷へ帰ることを希うような、
たぶんそういう憧れに近いのだ。」
 
 考えさせられる著作だが、中でも私が印象深く読んだのは「ことば」
についての考察とアンチエイジングに対する考えだった。
 私は言葉の力を信じる。
私にとって、やはり意味は重要。池田晶子が書いているように、明日
確実に死ぬとわかったとき、私は言葉を求めるだろう。人生の真実を
語る言葉を求めるだろう。
「世界とは言葉であり、言葉こそが世界を創っている」と池田は言う。
その感覚は私にはなかった。言葉は、私にとって消費し、蓄積すべき
個人的なものだったからだ。
 池田晶子は「言葉の裏側に出ちゃっている」という。裏側に出るとは
どういうことなのだろう。言葉をつきぬけた世界を知っているということか。
どうもあっち側からこちらの世界を見ることができることか。つまり客観化
できるということではないか。 
 言葉は意味であるとともに音である。私箱どもの頃に響きの美しい語を
探すあそびをしていた。「らりるれろ」の付く言葉が私には美しくきこえて
ならなかった。池田によると空海の言語哲学は意味ではなく音だったと
いう。
 アンチエイジングについて
 私は、若さもすばらしいことだと思うが、年を重ねることもすばらしいと
思う。だから、若さに執着することよりも、成熟を求めて年をとっていくこと
を受け入れたい。年をとったからこそわかること、年をとったからこそ持てる
ものがある。そう信じている。だから若く美しい人をうらやましがらない。
 池田はどう捉えるか興味があった。「執着する、失うまいとしがみついて
生きるというこの生きる姿勢自体が、じつは相当キツイものなのではないで
しょうか。そこにあるのは、失うことへの恐れと不安と焦燥でしかない。」
池田は「年をとることを、おいしい、面白いと感じるのは、自分の心がいよいよ
深く豊かになってゆくのをはっきりと自覚するからです。」と書く。これを読むと
私は年をとることを怖がらなくてもよいのだと思う。
  
  池田の犬との生活もまた興味深かった。覚悟を持って犬と暮らしている。
そう、池田晶子は覚悟の人なのだと思う。

 
[PR]
by nokogirisou | 2008-01-13 21:17 | 本と図書館
<< こころの時代~宗教・人生「あな... 旅の読書 >>