『セロになるからだ』(覚和歌子 徳間書店)より

 
a0023152_538524.jpg

 覚和歌子の名前は知らなかったのだが「ゼロになるからだ」という
言葉は覚えていた。「いつも何度でも」の歌詞にあったからだ。木村弓の
歌で何度も聴いたし、私も歌った。『千と千尋の神かくし』の映画そのもの
よりも、この歌の方が私の中に印象深く残った。それは「ゼロになるからだ」
という言葉にぐいっと引っ張られたからだ。カラダはゼロになるのだ。では
ココロは?そういう疑問が私の中にしみわたる。
 この本の中に物語があふれている。単なる詩ではなく、単なる物語ではない。
帯には「祈りのような物語 寓話のような詩」とある。巻末に覚さんにオマージュ
を贈っている谷川俊太郎もまた「ゼロになるからだ」という言葉に魅せられて
いると書く。そして「からだがゼロになるとき、それは死のときだとも思えるが、
生きていてもそういう瞬間はあるのでないか」とも。
 数々の物語でとても不思議で印象に残ったのは「火遊び」という詩。
どっきりした。 こういう表現の方法があるのだと新鮮だった。
 好きになったのは「電話」という詩。
 
   電話

 娘は思った
 
 ひとを愛するときは
 死んだ人を思うように
 
 会えないことを嘆きもしなければ
 ときどき静かにその人のいいことだけを思い出したりして
 いつでもそのひとのしあわせをいのったりして

 娘はなんどもいいきかせた
 その人を愛するときは
 死んだ人を思うように
 
 近くにいると 奪わずにはいられないから

 長距離電話のなかでつづく長い沈黙に
 しんと耳をすますように
 言葉のない言葉どうしを
 一本の電話選がつないでいると信じるときのように

 その人を愛するといは
 死んだ人を思うように

 けれどいつかまた逢えたら
 やっぱりめちゃくちゃに抱きしめてしまうだろう
 大切なものをすこし乱暴に扱うように

 背中なんかを ばんばんたたいて
 あなたが 本当は死んでいなくてよかったと
 そのことだけで うれしいといい

 嵐が通り過ぎたあとはいつも
 痛いほどの 青空が広がる
 
 やがて青空さえ いやされるときがくる
 電信柱にそっとたれこめる
 しずかな宝石の夕暮れに

 
[PR]
by nokogirisou | 2008-01-18 05:36 | 本と図書館
<< くりかえす ベートーベン その1 >>