絵を描く友人

 年上の友人に呼ばれて遊びに行った。部屋にはいくつもの額絵
があった。彼女はランナーだったのだが、思いがけない膝の故障
でこれ以上走り続けることができなくなった。そこで彼女は、走る
代わりに熱中できるものを求めて、絵を選んだ。
 絵そのものはもうだいぶ前から描いていたのだが、ライフワーク
として真剣に取り組んだのは怪我以降である。最初はやはり走る
ことのようには情熱を傾けられなかったという。しかしモチーフを
求めて散歩し、旅をし、古木に出あってから、彼女の生活は変わ
った。彼女は、海のそばに住んでいたいたので、海には愛着が
あった。そして、海辺を走り、海でよく遊んだ。その場所で彼女は
流木に出会ったのだった。その時の感動を忘れられないという。
彼女はまるで恋人に会いにいくようにいそいそと流木のスケッチに
通った。
 ところが、冬の間にその流木はすっかり「死んで」しまった。春に
恋人に会いにいったとき、その流木の痛々しい姿に彼女はショック
を受けたという。そしてまた彼女の流木探しが始まり、今度はまるで
椅子のような木目の美しい流木に出会った。この夏の初めのことで
あった。以後、彼女の格闘が始まった。スケッチそしてまたスケッチ。
 表現するものがある人は幸せである。モチーフを探すという行為は
充実感を伴う。しかもうっとりするような時間をすごせる。それは絵に
限ったことではない。小説を書くとき、詩や短歌を作るときもそうなの
だろう。
 仕事に追われていると、表現欲求が小さくなる。モチーフを求める
喜びも忘れてしまう。 あのわくわくをもう一度体験したいという思い
はある。しかし目の前の仕事がちらつき、そこまで熱中できずにいる。
だからこそ体を動かすテニスに逃げているのかもしれない。
 友人は自分で納得するために、これからの人生プランを語っていた。
とにかく、満足のいくまでとことん流木を描き続けるそうだ。
 
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by nokogirisou | 2008-07-28 23:36 | 日々のいろいろ
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