『ヘヴン』川上未映子 講談社

  
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  今年であった小説で、私に強烈な印象を残したのはこの『ヘヴン』と
 村上春樹の『1Q84』だった。『ヘヴン』は前作の『乳と乱』とはだいぶ
作風が変わり、とても複雑で、人生を暗示していて、小説らしかった。
 
 ひどい苛めを受けている中一の「僕」のとこ ろに手紙が届く。
 それは同じクラスで不潔な ことで苛められているコジマからだった。
 二人は文通し心を通わせる。ひそかに公園や非常階段で会う。コジマは
 いろいろな話をし、「僕」を励まし、「僕」はコジマとの文通がゆいいつの
 楽しみになっていく。二人は、哲学的なことを語り合う。

 こういう過程は、読む方もなんだかほんわかした気分になり、恋愛小説の
 ようだ。しかし、「僕」や「コジマ」の受けている日常的な苛めのシーンは
 過酷で、しかもリアルで、大人が入り込めない細工になっているところが
 本当にこわい。

  「コジマ」が汚いかっこうをしているのには意味があった。それでは
 大好きだが、彼女の母に離婚された貧しい「お父さん」との生活を忘れ
 ないための「しるし」なのだ。彼女は「僕」の斜視を苛められる原因だと
 考えていて、自分の「しるし」と「斜視」を同一視している。そして「君の目
 が好きだよ」 という。
  夏休みに二人はデートする。行き先は美術館。「ヘヴン」という絵を
 見に来たのだけれど、コジマはその絵にたどりつく前に泣き出してしまう。
  ここら辺から、2人の関係が永遠に続かないような予感がしてくる。 
   
  コジマは苛めの苦しみを乗り越えることの意味を強調し、強くなってい
  く。笑顔で苦しみを乗り越える殉教者のようにすら見える。そして自分
 「僕」のことを理解していると思っている。一緒に苦しみをのりこえようという。
 当然 「僕」はだんだんコジマを直視できなくなる。
 
  あるとき、苛めの首謀者のひとりと会って、「僕」は「話がある」と近寄り
 「僕は君たちに暴力を受けるようなことはしていない」という。訴えるのだ
 が、首謀者にはちっとも伝わらない。「したいから」苛めるのだという。
 また「僕」が斜視であることは苛めの決定的な原因でないという。

 「なあ、世界はさ、なんていうのかな。ひとつじゃないんだよ。みんなが
 おなじように理解できるような、そんな都合のいいひとつの世界なんて
 どこにもないんだよ」

  これは事実かもしれない。しかしこの台詞が中学一年の少年の口から
  出たと考えるとうっすら寒くなる。

  その後、一気呵成に話は大展開する。
  苛めの解決ではない。
  
  最後に「僕」は大事な友人「コジマ」を失うが、医師と母(血はつながっていない)
 という信頼できる大人と出会う。それによって明るい未来を予感させて終わっている。
 コジマがどうなったかは書いていない。
  私にはそれが気になってならないのだが。

  
  
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by nokogirisou | 2009-12-29 21:24 | 本と図書館
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