カテゴリ:映画( 36 )

映画「君の名は。」

急に見たくなって、新海誠監督の『君の名は。』を見てきた。
夜の上映だったが、劇場は満員で驚いた。
画像がとても美して、アニメ映画の魅力を感じた。

私がとても印象的に感じたのは、戸や襖や、電車のドアが
バシッと閉められるシーンが何度も何度も繰り返し出てくる
ことだった。
「君の名は」というと、昔のラジオドラマを想定してしまうが
この『君の名は。』作品からは「君の名は」へのオマージュを
感じる。
もう一度みたいと思える映画だった。


たそがれ時 かわたれ時
彗星、くみひも、御神体、歩道橋 カフェ 飛騨高山 図書館
たくさんの気になる言葉とアイテム




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by nokogirisou | 2016-10-01 09:45 | 映画

高倉健と會津八一

NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」
「高倉健という生き方」を見た。
自分でもどうしてこんなに高倉健が気に
なるのか不思議であるが見始めたらテレ
ビの前から動けなくなっていた。

 昨日観た映画「あなたへ」の撮影
裏話、共演者とのかかわり、ロケ地で
の地元の人たちとのかかわりを見聞き
しながら、映画の深い行間の読み方の
必要性を感じた。映画はやはり芝居と
は異なる。一回性とリアリティの追究。

 高倉健は台本を入れたファイルの
うしろに會津八一の歌を書いて貼って
いた。

あめつち に われ ひとり ゐて
 たつ ごとき
 この さびしさ きみはほほゑむ

これは八一が法隆寺の夢殿の救世観音
にささげた歌だ。
 
この歌に感銘をうけ、いつもこの歌を
眺めていたという高倉健の孤独を思った。

その人間が一番現れるのは
「日常生活」だと高倉健が言っていた。
やはり一日一日を丁寧に生きたい。
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by nokogirisou | 2014-11-24 10:16 | 映画

高倉健さん

 俳優の高倉健さんが亡くなったニュースは感慨
深かった。すでに亡くなって一週間が経過していた。
 私自身は高倉健の映画の熱烈なファンではなかった
が役者として彼はすっと気になる存在であった。
 その理由の一つがプロ意識がとても高い人だった
からだ。それはインタビューからも作品そのものから
も感じた。

 春に亡くなった義父は晩年に高倉健の映画を見たがり
私は、ビデオ屋を回ったり、DVD化された作品を
購入したりして父に映画を届けたことがあった。
なぜ今高倉健なのだろうと不思議だった。

 友人が映画「あなたへ」を見て、思うところがあって
竹田城を旅していた。人を旅にかきたてる映画に興味を
持った。竹田城が天空の城だと知って自分も行きたくな
った。

 職場出入りの書店員さんは高倉健が好きで、あるとき
「高倉健さんがお好きなんだそうです」と會津八一の歌
のメモを持ってきてくれたことがあった。座右の銘に
八一の歌とはおどろいた。 

 そんな小さな偶然が重なって、高倉健は心のどこかで
気になる存在になったのかもしれない。

23日日曜ロードショーで映画『あなたへ』を見た。寓意
やなぞがしかけられた、心の旅をする男の映画だった。
登場人物の魅力と登場人物たちの偶然と無骨な交流にひか
れていった。
 
 しかし最後までこの夫婦の愛の在り方は私にとっては
なぞであった。しかし、こういう夫婦の在り方もあるの
だろう。「さようなら」の意味が私には違う意味におも
われてならいのだが…。
 とにかく映画を愛した高倉健の最後となる205本め
の映画作品だった。
 
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by nokogirisou | 2014-11-24 00:56 | 映画

『ギルバード・グレイプ』

 アメリカの映画の中で最も好きなもののひとつ。
ラッセ・ハルストラム監督の1993年の作品『ギルバード・グレイプ』
を久しぶりに見た。
 ジョニー・デップ扮するギルバードがなぜ魅力的なのか。
自分の夢がわからず、野心をもたず人妻と不倫をする若者。
知的障害を持つ弟のアーニーの世話と、父の自殺後過食症となり
肥満化してしまった母を見守ることに追われ、アイオワの町から
出ていけない男。状況だけ見れば少しもぱっとしないのに、観る
者はどうして彼を愛さずにはいられないのか。
 
 それはギルバードが愛を拒絶しないからだ。 
 面倒な愛、重苦しい愛、はかない愛。投げかけられる様々な愛
を拒まない。そして去る者は追わない。
 彼は、障害を持つ弟のアーニーも肥満で町の人に笑い者にされ
ることを恐れる母をも受け入れ、愛している。

 私たちも、なかなか人生思うようにはいかない。
 自由に行きたいところに行き、生きたいように生きられる人は
限られている。自分の運命はある程度受け入れねばならない。
だからこそ、ギルバードに共感してしまうのだろう。

  そういう彼をまるごと受け入れ愛するのが旅の女性、ベッキー
 だ。彼女はみんなが手を焼くアーニーをも自然に受け入れ大事
 にする。
 この映画では、もう一人、アーニーを演じるレオナルド・デカプリオ
からも目が離せない。迫真の演技だ。

 結末には予感がある。新鮮な世界への旅立ちの予感。だからこそこの
映画が好きなのだろう。
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by nokogirisou | 2014-07-27 23:07 | 映画

山田洋次監督「小さいおうち」

 今日は映画の日だったので気になっていた「小さいおうち」を見に行ってきた。
さすが山田監督の作品だけあって、物語にぐいぐいひきつけられた。
音楽が久石譲で、私は「ハウルの動く城」を思い出した。 わかりやすい
額縁構造だ。現代を生きる健史と大叔母たきとの交流。そのたきの書い
た自叙伝を通して60年以上前の話が語られる。小さいおうちの事件を
描きながら、実は戦争することの愚かさを描いているのではないか。
当時の風俗や食べ物をとてもリアルに描いているところも山田監督らしい。
 朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」の配給の様子と重なって、迫りくる
戦争の描写がとても痛々しく感じられた。戦時中がいかに生きにくい時代
であったか登場人物に語らせている。やりたいことができない、言いたい
ことが言えない。心の自由すら許そうとしない当時の風潮を本当に
寒々しく感じる。
 若いころのたきを演じる黒田華、晩年のたきを演じる倍賞千恵子。
どちらも魅力的だった。そして大叔母を見守る健史を演じる妻夫木聡
が妻夫木らしい役どころでなかなかよかった。
 松たか子もこの時代の奥様を好演、さすがだ。
 劇場で見る映画、なんと贅沢な時間だろうか。 
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by nokogirisou | 2014-02-01 23:48 | 映画

「北のカナリアたち」

  劇場で見たかったのだが、ようやくテレビで見ることができた。

 見終わったときに、「観てよかった」と思える作品だった。これは
この作品を紹介してくれた友人も言っていた言葉だが、本当に
そう思った。
 この作品をひとことで言いまとめることはできない。この作品
の中に時間の経過があり、多くの人生が絡み合っているからだ。
 
 記憶していること、思い出すこと、そしてそれを時間の経過の
おかげで言語化できること。だれかの存在がだれたかの「生きる」
を支えていることなどを感じて、涙を止められなかった。

 毎日の日々、傷を負いながらも、なんとか生きている私たち。
だれかが見ていてくれるから、だれかが、信じてくれるから、
だれかが、声をかけてくれるから、私たちは「それでも生きよう」
と思えるのかもしれない。人と人との結びつきを、やはり信じて
いいのだ…と思わせてくれる作品だった。

 そして、吉永小百合は、やっぱり素敵だった。
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by nokogirisou | 2013-12-16 00:56 | 映画

映画『しあわせのパン』

  ずっと見たかった『しあわせのパン』を観た。観て良かったという思いになる映画で
エンディングの矢野顕子と忌野清志郎の歌声がいつまでも終わらないでほしいと願ってしまう。
二人の歌う「ひとつだけ」がとても深い。
  舞台は洞爺湖に近い、月浦。北海道の魅力が美しく、あたたかく描かれる。20代の
頃に北海道を旅したことを思い出してしまう。
  やや陰のあるりえさんと、その彼女を見守りつづける水縞くん。
原田知世の品のいい横顔と大泉洋のやさしげなまなざしが魅力的だった。
そしてひつじのリーヴァ。愛らしい。
  りえさんと水縞くんが営むカフェマーニにはさまざまな客が、それぞれの傷をもち
ながらやってくる。それをしずかに夫婦があたたかく見守るところがいいのだろう。
そしてそこにおいしそうなパンがあること。あたたかい料理があること。
 それぞれの客の物語は解決はしないが、それぞれいい方に修正でき、生きることを
肯定的にとらえる。
 この映画の中では、二人が一つのパンを分け合って食べる。そこにとても意味がある
と思う。愛する人を大切にしながら、自然をみつめ、自然に見守られて生きる。いい生き
方だと思うと思うが、なかなかできるものでない。
 とにかくいい映画を観たというたしかな感触が胸に残った。
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by nokogirisou | 2013-11-05 23:29 | 映画

宮崎駿監督『風立ちぬ』

  ほとんど予備知識なく、標記の作品を見た。
知っていたのは、主人公の声を庵野秀明が担当すること、
主題歌が荒井由美の「ひこうき雲」だということくらいだろうか。
それがよかったのかもしれない。
 同じくこの映画を観た友人は、『風立ちぬ』と実在の堀越二郎
の物語を無理やりくっつけた感じがしたと言っていたが、私は
「無理やり」感を感じなかった。

 終わった瞬間に、理由のわからない涙がこぼれて、館内が
明るくなるのが恥ずかしかった。
 私がこの映画で強く感じたのは、「時代」だ。大正の終わりから
昭和にかけての、どうにもならない時代。外国に追いつこうと
右上がりを目指す勢いと、一方で貧困や格差がはびこる世の中。
だからこそ、純粋なものも多数存在した時代。そこにしだいに戦争
の色も入り込んでくる。今の自由で、勝手で、ある意味便利で
能天気今とは、違う、息苦しさを感じた。
 
 この映画のキーワードは「夢」だと思った。繰り返し夢が出てくる。
二郎はよく夢を見る。
 そして、夢がこの物語を推進する。この作品は10年をひとつの
単位として動いているので、時間の流れが速く感じられる。その
不可解さを夢が上手に解消してくれている。
そうしてもう一つの意味の「夢」
「飛行機は戦争の道具でも商売の手立てでもないのだ。飛行機は
美しい夢だ。」

 もう一つ気になったこと。この作品では「たばこ」だ。たばこが重要
な役割を果たすということだ。
ちょっと昔の映画には本当にたばこがよく出てきた。主人公が集中
する時たばこを必要とするし、人と人をつなぐとき小道具にもなる。
たばこが、許され、信頼されている、そういう時代だったのだ。
 
 二郎という人物を眺めながら、私は『舟を編む』の馬締を思い出した。
ひたすらに飛行機の設計に打ち込む姿と、一方で純粋に恋をし
妻を愛する姿。
「力を尽くして生きろ、持ち時間は10年だ」という二郎の夢の中に出て
くる飛行機製作者カプローニの言葉にも私は敏感に反応してしまう。
 何かを成し遂げるには10年はあまりに短い。けれどもその10年を
必至に力を尽くして生きなければ、何も変わらないのだ。
 そして、その10年がどんなものであっても、まだ生き続けなければ
ならない。

 感傷的になりすぎだよ、この映画に…という人もいた。
でもやはり、私はこの映画に泣けてしまうのだ。 
 
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by nokogirisou | 2013-08-13 21:16 | 映画

『図書館戦争』をレイトショーで観る

 すっかりレイトショーが気に入ってしまい、今日もひとりで
夜の映画館。佐藤信介監督の『図書館戦争』を観た。
 観ようと思ったきっかけの一つは、新潟県十日町市の図書館
である十日町情報館が撮影に使われたことだ。この図書館は、
中越地震のときに、かなりの被害を受けたはずだ。その図書館の
閲覧室が、撮影に使われていたことは嬉しかった。舞台となる
武蔵野第一図書館は、十日町情報館だけでなく、水戸市立西部
図書館、北九州市立中央図書館、山梨県立図書館でロケをして
いる。こんなに複数の図書館でロケをしながら、一つの図書館
に感じさせるところは見事だ。

 ずいぶん話題になった作品だが、私が原作を読んだのは今年に
入ってからである。有川浩の小説は読み始めるととまらない。
「図書館の自由」で始まるが、事件は連発するし、堂上と笠原の
関係が気になる甘甘の恋愛小説でもある。岡田准一と榮倉奈々が
どう演じるか気になった。予想以上に岡田のアクションはすばら
しかった。笠原郁の未熟ぶりも榮倉によって魅力的に表現されて
いた…。

 しかし、今回の映画のテーマは私にとってはずいぶん重かった。
映画は、原作のわかりにくい部分をわかりやすくもするし、リアリ
ティを倍増させもする。図書館が自衛組織を持つなどあり得ない話
なのだが、ありそうに感じさせてしまうところが怖い。あくまで、
「守る」ため、図書館の敷地内だけで、闘うことが許されているが、
そういう制限の中にありながらハードな戦闘が繰り広げられる。映
像で、生々しいタスクフォースの訓練や、実弾線、戦闘シーンを観
ると、原作を読んだ時以上にいろいろと考えさせられてしまった。
 表現の自由を守られない世の中はおそろしい。メディアが国家によ
って規制されることの恐怖を感じる。

私が最も印象に残った台詞は「日野の悪夢」で亡くなった稲嶺館長の
遺志を継ぐ、原作にはいない仁科司令の言葉だ。 

 メディア良化法に踊らされ、検閲と戦闘が続く世の中を嘆き「どう
してこんな世の中になってしまったんでしょう」という笠原に対して、
仁科司令は
 「無関心です。自分には直接関係ないという…」
と答える。
 また仁科司令は、本を役割を理解し、本を守ることに命をかけるの
だが自分が大事に守ってきた本を、メディア良化法に賛同する団体メ
ンバーに火をつけられたときは、冷静に「本は本です」と燃えていく
様子を静かに見守るのだ。

 たかが本。されど本。
 (もちろん「メディア」は本だけではないのだが。)
 表現の自由、図書館の自由という当たり前に思っていることを
意識して行使していかないと、いつか失ってしまう。そして、血を
流してまもらなければならないものになってしまうのだ。
 背中に寒気が走る。
 
 
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by nokogirisou | 2013-05-05 01:59 | 映画

『舟を編む』をレイトショーで観る

 石井裕也監督の『舟を編む』を観た。
原作に忠実に作ることで成功している映画だと思った。
舞台は1995年から2010年。15年の人と、ものの変
化が、とても丁寧に描きこまれている。たとえばパソコン、
たとえば携帯電話。飲食店の雰囲気。家財道具。人の服装
髪型、表情まで。1995年の世界はとても懐かしかった。
 玄武書房の辞書編纂部の雰囲気が私のイメージする
出版社の辞書編集部そのものだった。カードに用例を
書き込む加藤剛が扮する監修者松本の姿は、私のかつての
恩師とも重なる。言葉へのこだわりなくて辞書は編めない。
 言葉のプロとは何か。少なくとも、辞書編集部に異動し
てきた馬締光也は、言葉を愛し、言葉を説明しようとする
プロだった。たとえコミュニケーションが苦手であっても。
その彼も個性的な編集者や、下宿屋のタケや香具矢とかか
わりながら、コニュニケーション能力をあげていく。
 辞書づくりの苦労は、何度となく聞かされてきた。私
の学生時代がちょうど中型国語辞典出版の最盛期で、無理
をして買って眺めていた。紙の辞書への愛着が忘れられない
世代である。あの紙のぬめり感というのもよくわかる。

 辞書編纂の苦労がリアルに表現される一方、この映画の
魅力は、馬締と香具矢の夫婦愛の描かれ方だ。互いをずっと
大事にし、それぞれが自分の仕事を大事にする姿は、理想でも
ある。
 互いが互いの仕事ぶりに敬意を抱いているところがいい。
うそっぽくない夫婦の感じを松田龍平と宮崎あおいが
うまく演じていた。
 また加藤剛演じる松本先生と八千草薫が演じる妻との夫婦愛
もとても丁寧にリアルに表現されていた。役者はすごい。
 見に行ってよかったと思える映画だった。
 
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by nokogirisou | 2013-04-29 01:05 | 映画