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全国大学国語教育学会第130回新潟大会

学会員でもなく、国語教育学を学んでいるわけでもないが、地元開催
だったので、新潟大学に遊びに行ってみた。全国からたくさんの研究者
や実践家が集まってお祭りのようだった。学会というのは、みなそんなも
のなのかもしれない。とにかく青い空で、いい天気で、みなさんに新潟
大学の建物の最上階から日本海を見てもらいたいと思った。

 最初に一番印象に残ったことから書こう。私はなぜ国語教育と学校
図書館が協力して授業をする形にならないのか、そういう研究が少ない
のかとても疑問に思った。国語教育の中になかなかまるごと本を一冊
読む実践が出てこないのも不思議だった。それで主催者に質問した。
すると「日本の敗戦後、学校に読む本が著不足した状況から長らく学校
に図書館がなかった。それで日本の国語教育と学校図書館教育が、別々
に発展することになってしまったのだ」といわれた。それをずっと今もひき
ずっているのだ。したがって、読解と読書が別に論じられることになり、
作文は国語で書かせるが、レポートを書く探究的な学習は「情報」や「総合」
にまかされる。国語でレポートを書くための言語技術が十分教えられない
状況も生まれた。
 以前の大会では、リテラチャーサークルやアニマシオンやブッククラブ
の実践紹介もあったそうだが、今回の大会では全く登場しなかった。

 さて、改めて国語教育学というのは、本当に幅が広いということがわか
った。自由研究発表の時間が一日目の午前と2日目の午後にあり、様々
な研究発表がたくさんの会場でくりひろげられた。
 素人なりに勝手に分類すると、国語教育史、小中高の授業実践研究、
教材分析、国語教師論、作文の評価方法研究、文学の授業研究、説明
的文章・論理的文章の授業研究、メディアリテラシーとしての国語教育、
古典授業の開発、英語教育との関連、それからどう分類したらいいのか、
わからないものまでとにかく多種多様だった。
 テーマだけでなく研究方法も多彩だった。統計学の手法を用いたものが
一番多かっただろうか。因子分析が今一つ私にはわからなかった。その他
昔の文献をあたったもの実践例を分析したもの、海外の文学論を日本の
文学教育に応用し、具体的にあてはめる研究等である。

 1日目の午後は「読書人を育成する国語教育のあり方」というシンポ
ジウムが、2日目の午前には「国語科教育における理論と実践の統合」
というテーマで課題研究発表という名のシンポジウムが行われた。
いつも思うが「読書」や「読書人」の定義が難しい。それぞれ微妙にずれ
るので、なかなか難しい。

 また2日目の午後は自由研究発表と並行して、ラウンドテーブルという
ミニシンポジウムが行われていた。テーマは「これからの国語科教員養成
を見つめて」と「読書と周辺領域をめぐって」。

 今回なんども耳にした用語は「単元を貫く言語活動」「インストラクション」
「要約 縮約」「読書人」「読書習慣」「省察」。一方「アクティブラーニング」は
もう自明のことだからか、あまり話題にならなかった。
 それから、くりかえし引用される研究者の名前を何人か覚えた。そして
論文がたくさん引用されている研究者が、同じ分科会会場におられて、質問
しているのでびっくりした。国語教育の研究者も世代交代しつつあるようだ。
しかし参考文献の中に私もよく存じ上げている大村はま先生の名前が何度
も出てきたことに感銘を受けた。彼女は歴史的存在だ。そしてやはり偉大だ。

(彼女の最晩年に私は彼女のご講演を間近で聴くことができた。車椅子を
苅谷夏子さんが押しておられたことを鮮やかに思い出す。講演が始まると
車いすのまま、しゃんと背筋を伸ばして厳しい講演をされた。あれはめったに
ない貴重な機会だった。手書きの「てびき」を熱心に説明してくださったこと
が思い出される。)

 素人なので、とにかく質問したいことがたくさんあったが、発表の時間
制限が厳しく、なかなか満足に質問することはできなかった。けれども
頭のなかにたくさんのクエスチョンマークができたことは新鮮だった。
 地元開催というのはありがたい。たっぷり学会を体験することができた。
自分が日ごろいる世界と違う世界に接するのは、刺激的である。
 
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by nokogirisou | 2016-05-29 18:06 | 日々のいろいろ

アクティブラーニングとタブレットと言語技術

 今日は国語の研究会があった。
いろいろな情報が一気に頭に入ってきて少し
混乱している。
 アクティブラーニングという言葉がとびかった。
「グループ学習や討議、発表という活動を伴うもの
だけでなく、本来生徒個々の頭の中をアクティブに
するものだ」という説明があったが、やはり、活動
の方に目がいく。実践発表も学習方法、授業形態を
中心にした発表になる。
 もちろん、みなさん、熱心に勉強され、授業を組
み立て、真摯に実践されていてすばらしい。
 けれども、授業は手法だけではないのではないか
という思いがよぎる。授業の目標があって教師の
抑制のきいた働きかけと、生徒の意欲をくすぐる
教材があって、生徒の主体的な活動がある。そして
次の学習につながる有効な評価があるという一連の
日常的な学びを私は大事にしたいし、それを深め
たい。
 タブレットや電子黒板、その他IT機器を使った
授業やテストも試みられている。ツールとして
IT機器は有効だと思う。使い方しだいでいい授業
になると思う。ツール使用は授業の目的ではない。
私は基本的に「国語」というのは実技教科だと
考えている。デジタルできれいなテクストや資料
を見ることができても、それで理解が進むとは
思えない。自分で手を動かし、頭を動かし、読ん
で書いてしゃべって聞いてという活動を繰り返さ
なければ、身につかない。本当の力にはならない
と考える。わかったような気にさせるのではなく、
自分でできるという自信をもたせるような授業を
めざしたいと思った。
 講演では、「つくば言語技術教育研究所」の
三森ゆりか先生のお話を聞いた。日本の国語教育
の問題点を指摘された。10年ほど前にも三森先
生のお話を伺って同じような指摘をうけ、刺激を
受けたが、改めて日本の国語教育が未だに変わっ
ていないこと、学習指導要領もあまり変わってい
ないことに気づき愕然とする。もちろん言語技術
を教える必要があるといわれ続けている。論理的
思考の必要も言われ続けている。けれども現場の
国語教育は、あまり変わっていない。もちろん高
校では、文学作品の登場人物の心情を読み取る読
解の授業ばかりしているわけでない。教員が一方
的に自分の解釈を語るような授業もほとんどない。
けれども言語技術が体系的に示されたり、カリキ
ュラム化されたりする動きがあると聞いたことが
ない。 
 論理的思考力の必要性は感じている。しかし、
具体的に論理的思考力をどうつけていったらよい
のかは手探りだ。問答ゲームをしたり、論理の型
を示して練習したりすることがあるが、結局は個
別の添削指導や生徒との対話の中で指導するのが
論理的思考力を育てる一番効果的な方法ではない
かと感じている。

 
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by nokogirisou | 2015-10-30 00:04 | 日々のいろいろ

キャラメルボックス『鍵泥棒のメソッド』

キャラメルボックスの『鍵泥棒のメソッド』のビデオ&トークライブin新潟
に参加してきた。
 内田けんじ原作の映画で話題になった『鍵泥棒のメソッド』を
成井豊が舞台化した。2014年のスプリングツアーの演目だ。

 今回、新潟でビデオ上映(DVD上映)があると知り、りゅー
とぴあの劇場に行ってきた。
 生が命の芝居である。正直言ってあまり期待していなかった。
1コインで、この作品に興味があったので軽い気持ちで行った
だけだ。
 いや、ところが、キャラメルボックスのお芝居はDVDだと
いうことを忘れてしまうほど、臨場感あり、熱くて、面白かっ
た。「追い込み」がさすがだ。わくわくどきどき2時間半があ
っという間だった。
 つい見入ってしまい、何度も笑い、ひきこまれてしまった。

 好き嫌いはあるだろうが、私はキャラメルの舞台装置を気に
入っている。すべてアナログ。すべて人間の手で動かしている
が、とにかく場面転換がスムーズで舞台装置がリアルなのであ
る。暗転はなく、黒子ががんばる。
 それからキャラメルの公演にはかならずダンスがある。これ
が毎度楽しみである。また今回はダンスの音楽が印象的だった。
石田ショーキチというアーティストの曲だった。
 今回はホワイトキャストで、多田直人が桜井武史を、岡内美
喜子が水嶋かなえを演じていた。彼らはトークにも来ていたの
だが、かなり映画を意識して役づくりをしていたという。もう
一方の畑中智行と渡邊安理が演じるブラックキャストは映画を
気にせず、自分たちの個性だけで演じきったそうだ。この違い
を見てみたいものだと思った。

 トークで苦労話をいろいろ聞いたので、舞台の細部に注意し
て見たが、車の使い方、部屋のつくり方がリアルだった。
 銭湯のシーンで裸の役者の身体が濡れているというところは
わからなかったが。
 トークをしてくれた、多田直人さんと岡内喜美子さんがとて
も魅力的で、ファンになってしまった。

  11月28日29日の「BRETH」の新潟公演の宣伝もばっちり。
 もちろん私も次の新潟公演を楽しみにしている。
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by nokogirisou | 2015-09-23 21:16 | 日々のいろいろ

怒りについて

 できるだけ、怒らない、怒らない、おだやかに笑って
生きていきたいと思う。
 少なくとも、腹の中で怒っても人前で怒りをあらわに
するのはやめようと思ってきた。しかし、怒りを押し殺し我慢していることが本当にいいことなのだろうかと疑問に感じる場面が多々ある。
 怒りたくないのは、怒りの後に襲ってくる自己嫌悪が嫌なだけなのではないか。いい子になっているだけではないか。やはり、不当なことや理不尽なことに対しては相手に怒って伝えたほうがよいのではないかと思うこともある。もちろんおこり方には品位(笑)が必要だが。

 ひさしぶりに、怒ってしまった。
 
 怒りは憎しみとは大きく異なる。怒りは爆発だ。理不尽な待遇、事実誤認の対応、悪意をもった罵詈雑言がきっかけで突発的に私の怒りの感情はわいてくるのだ。計画的に怒ることはできない。コントロールは難しい。憎しみの方は長期的で、表現においてはずっとコントロールが容易だ。
 ただ、怒りの表現で事態がよくなるかというと、それは疑問だ。怒ってこちらの論理を伝えてもまったく伝わらないという場合も多いからだ。誤解だといっても、それで相手の主張は、たやすく変わらない。論理が平行線になると結局「言い方論」にすりかわっていく。「言い方が悪かった」で事態を収めようとする人が多い。
 そうじゃないといいたい。あなたの姿勢が、態度がちがうでしょと。しかしもちろん、もう何も言わない。

 所詮立場が異なると、互いに理解しあうのは難しい。
主張は永遠に平行線になりがちだ。
 どうでもいいことには、むきになるまいと思う。
結局平行線で終わることに、エネルギーをかけて
怒って、自分の主張をしたところで、何も変わらない
のだから。

 こういう諦めを「おとなの対応」というのか。あるいは こういう諦めを、「事なかれ主義」というのか。
 それは状況と問題の深刻さによるのだろう。
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by nokogirisou | 2015-06-27 20:46 | 日々のいろいろ

身体をうごかす

 このブログを書き始めた2004年ころは、テニスに夢中だった。
しかしいろいろな条件が重なって、テニスのレッスンをやめること
になった。もう2年近くラケットを握っていない。テニスは一人では
できないので、スクールをやめるとなかなかコートに立つチャンスが
ない。
 しかしやはり、運動しないと気持ちが悪くて、一念発起して1月1日
より家から歩いて10分のところにあるスポーツクラブに入った。
こんなに近くて便利なのに、どうして今まで入らなかったのだろうと
思った。とにかく筋肉の衰えをなんとかしたかった。ぼちぼち一人で
筋トレとランニングをしていたが、最近プログラムレッスンにも参加す
ることにした。ぼんやりスタジオを眺めていたら参加者がとても生き生
きして見えたからだ。
 しかし、私はダンスが苦手で、ステップや振りをすぐにおぼえられな
いことがわかった。とにかくとろい。高校、大学時代はダンスの授業が
大好きだったのだが。いろいろやってみて、今楽しいのは、バレエとヨガ
とフィットネスの要素が入ったバレトンと、レスミルズのボディバランス
だ。音楽がゆっくりなのと、見た目や一目を気にせず、自分のペースでと
いうところが気に入っている。
 インストラクターはそれぞれ個性的だが、みなさん本当に指導がうまい
と感心する。特に、その声とタイミングが重要なことに気づいた。動きや
すいインストラクターは、聴きやすい声で、絶妙なタイミングで指示を出し
疲れている私たちを鼓舞してくれる。
 筋肉はまだ少ししかついていないが、とにかく呼吸と姿勢を大事にする
ようになったことはよかったと思っている。いつまで続けられるか。
無理せず、ぼちぼちやることにする。
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by nokogirisou | 2015-04-29 21:32 | 日々のいろいろ

一週間

 魚屋では貝が旬だ。近所の魚惣菜の店では、「貝祭り」をやっている。
この間まで、寒ブリ祭りをやっていたのに。台所でアサリの砂出しをし
ながら、テレビを見ていてたら「サザエさん」が流れていた。もう一週
間がたったのかと思う。ついこの間、この番組を見たと思ったのに。
おそろしいことだ。こんなペースで時間はどんどん過ぎていく。年を
とるばかりだ。まずい。
 一方で、月曜が始まって、火曜、水曜と進む中で、「早く一週間すぎ
ないかな。週末がこないかな」と思っている自分がいる。どんどん
時間が流れろと念じているのだ。週末を恋しがるばかりに。
 矛盾だ。
 花は桜から、チューリップにうつりかわりつつある。あちらこちら
のチューリップ畑で見事な開花を発見する。時の流れはとどめること
はできない。当り前のことながら。 
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by nokogirisou | 2015-04-20 05:29 | 日々のいろいろ

久しぶりのblog

事情があって、ずいぶん長い間、「右腕を鍛えたい」を
書かなかった。4月も5日目になってやっと日常が戻って
きた。この数か月は疾風怒濤の日々であった。
 そろそろ自分の生活を取り戻そうと思う。
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by nokogirisou | 2015-04-05 17:18 | 日々のいろいろ

学校図書館にかかわる者として

 すっかりごぶさたしてしまいました。
まったくログインできない怒涛の日々でした。書きたいことは
たくさんあったのですが、どんどん流れていく…。

 さて、学校図書館に関わる仕事をしながら、毎度思うのは
本当に手間ひまがかかるのに、地味な商売だということです。
1月にお会いした関西の私立中学高校に勤務する司書教諭の
先生が言われていましたが、図書館が表だちすぎてはいけない
のだそうです。その学校の教育の中に自然に溶け込み、必要と
される存在になることが重要だと言われました。
 それぞれの学校に求められる図書館像があり、いわゆる
モデルとなるような立派な学校図書館のマネをしてもだめなの
です。

 これまで私は、生徒や職員のみなさんに図書館の存在をアピ
ールすることに腐心してきました。できるだけ新しい企画を、
できるだけ授業に使ってもらえるように呼び込みを、リスト
作りを、広報をとやってきました。けれども学校図書館が評価
されることはまずありません。
 むしろ、学校図書館が自己主張するとけむたがられます。出
る杭はうたれるものです。新しいことをすれば「そんな必要が
あるのか?」と言われ、継続していることは「形骸化している」
と批判されるのです。まあそんなものなのでしょう。
 学校図書館で仕事をする以上、評価されないことを不満に
思ったり、批判されることを恐れたりしてはいけないなと思い
ます。そうはわかっているのですが、不理解や誤解から批判
されることもままあり、本当に悲しい限りです。

 まあ、どんな仕事もがまんと忍耐が肝心。
 ほかにもやらねばならないことはたくさんあるのだし、
淡々と笑顔でこなすのみ。
 
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by nokogirisou | 2015-02-07 23:37 | 日々のいろいろ

小野田正利先生の講演会

演題は「子どものために手をつなぐ
~あらためて保護者と学校の関係づくりを考えて」
だった。
 長岡市三島地区でひらかれた小野田正利先生の
講演会を聴いてきた。
 小野田先生は、「モンスターペアレント」という
言葉を使わない。モンスターと言った瞬間に見えな
くなってしまうもの、きこえなくなってしまうもの
があるからだ。
親のイチャモンを教師がどう受けとめるか、どう聴
くかがとても重要になる。
 保護者と教師との間のごたごたは、「教師の理屈
と親の思い」ずれから生じていることが多いからだ。

 小野田先生は昨今の日本の状況をつぶさに観察し
ている。日本人は「待つ」ということと「他人にも
事情がある」という寛容性をいだくことができなく
なっている。そしてクレーム社会になってしまった。
いつのまに、こんなに満足基準、期待水準が高くな
ってしまったのだろうか。そのせいで、いたるところ
に予防線を張る現象が生まれてしまった。あらかじめ
つっこまれないように言い訳じみたことを言ったり、
書いたりする現象だ。
 小野田先生はこういう社会の中で、教育が「商品化」
されることを心配しておられた。
 教育とは子どもを自立させ自信をつけさせていく
ことだ。子どものすることには「わけがある」という
ことを前提に周囲の大人は見守り、関わっていかねば
ならない。教育はビジネスや商品化や即効性にはなじ
まない。他人の子も自分の子も大切に幸せにしていく
のが子育ての原点なのだ。
 
 小野田先生のお話を聴いていて、大人が本質を見抜
く力を失ってはいけないと改めて思った。現象や、
社会や政府の要求にふりまわされてはならない。
すべては人と人の関わりから始まる。 
 
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by nokogirisou | 2014-11-16 01:05 | 日々のいろいろ

10年ひとむかし

 ほそぼそと続けているいくつかの会がある。
朝の読書実践研究会もしかり、アニマシオン研究会しかり、
国際啄木学会しかり。その他もろもろ。興味を持って参加した
くせに何度もやめたくなった。しかしやめられなくて続けている
自主的な勉強会。ただ体だけ、参加しているだけの会もある。

 国際啄木学会例会は1年に1度しか会合がなく、1年に1度
しか会員に会わない。今日その例会があった。ついこの間、みな
さんにお会いしたような気がするのだが、確実に1年以上経過して
いた。最初の頃は場違いのような気がして、なんで自分はここにいる
のだろうと思っていたが、いつの間にかたいして勉強もしないくせに、
図々しく、会のあとの食事会を楽しみにするようになっていた。いつ
までたっても初心者のような質問をしている。
 それにしても1年のなんと早いことか。気が付くともうこの会には
20年以上お世話になっていた。その間に互いに年をとった。
新しい人が入らないまま、会員は一人二人と減っている。
 今日は本当にタイムマシンにのってきたような錯覚を覚えた。
20年前のことが昨日のようなのだが、昨年のこと、一昨年のことも
しっかり覚えているふしぎな感じ。
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by nokogirisou | 2014-11-15 20:21 | 日々のいろいろ