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やみあがりのテニスとコーチのこと

 なかなか風邪がぬけない。まだ声がかれたままである。
このままハスキーボイスになってしまうのだろうか?
 先週は風邪で休んでしまったテニススクール。身体がなまって
いるので、今週はちょっと気合いを入れて行くことにした。ところが
行くとなにやら様子がいつもと違っている。何か変だ。
 となりの上級者者クラスのコートのコーチがいない。若い見慣れ
ないコーチに代わっているではないか?お休みかな?どこかに
行かれたのかななどと思っていたら、なんととなりのコーチは土曜日
に急死されたとのことだった。まだまだお若いコーチである。この間、
休校日に間違ってスクールに来てしまったときにも、優しいねぎらいの
声をかけてくれたコーチだ。元気いっぱいで若々しく、親しみやすいコーチ
だった。ちょっと信じられない気持ちがした。
 ついこの間まで元気だった方が、急に不在になってしまうのはとても
不思議な気持ちがする。ましてAコーチのご家族や身近な方やクラスの
生徒さんは驚き、ショックのことだろう。茫然としてしまった。
 私のクラスは、また欠席者が多くコーチをいれて3人だった。なんだか
しんみりとしてしまうが、レッスンが始まると元気が出てきた。やっぱり
テニスが好き。テニスに毎週通うことに関しては、いろいろな障害があある。
反対の声もある。それでも、細く長くテニスは続けようと思う。後で後悔したく
ないから。人生は短い。
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by nokogirisou | 2007-10-30 23:09 | テニス

がまんの日々

  夜の本屋好きである。金曜のストレス発散は夕食後にこっそり
本屋に行くこと。
 沢山の旅本が並んでいて、思わずうれしくて手にとって立ち読み
を始める。京都に行きたい。神戸に行きたい。東京の町も歩きたい。
いろいろな街が私を呼んでいる。
 しかし、ふと当分は旅に出かけられないという現実に気付く。
 家と仕事の事情で、2月中旬まで家をあけることができないの
だった。
旅が現実にならない…と思った瞬間に旅の本が遠いものに感じら
れてしまう。京都の写真が色あせて見えてくるのだ。
  「いついつまでは○○するのをがまんしよう」という決めごとを
私はよくやった。受験のとき、テストの前、提出期限の迫った仕事
の前。今もそのようなものか。
 受験生というのは、期限つきだけれど、いろいろなことを我慢しな
くてはならなくて、ストレスがたまっているのだろうなと思う。
 でもその受験生の家族たちも、いろいろと気遣いをし、いっしょに
いろいろなことをがまんしているのだろうな…。
 結局、地元のグルメ本や衝動的に手にとった文庫本などを買って
しまう。馬鹿だなと思いながら。
 夜の本屋は、おもいのほか人は少なめで、仕事帰りのビジネスマン
が目立った。
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by nokogirisou | 2007-10-26 00:23 | 日々のいろいろ

「文化的雪かき」

 内田樹『村上春樹にご用心』を読んだ。なかなかすごい本だと思う。数多く
の村上論が書かれる中で数少ない「おもしろい」本にであったと思う。まだ読
んでいる途中であるが…
内容的には、内田氏のブログと重なる部分が多いが、まとめて読むとまた
違って見えてくる。
内田は村上の仕事を「文化的雪かき」だという。

 雪かきとは、本当にむなしい仕事である。
かいてもかいても、またすぐに雪はふる。
だけど雪をかかないと、身動きできないし、みんなこまる。
だからだれかがやるしかない。やったからといって誰にほめられることは
ない。
 うちの母の自慢は、雪かきが上手なことだった。だれよりも早く丁寧に
雪かきをする。ほめられることもなく毎年、毎日彼女は雪が降ると雪かき
をした。
 ある日、早朝やってきたブルドーザーの運転手に母は雪かきのうまさを
ほめられた。彼女は彼の一言に満足を覚えたらしい。雪かきをすることは
彼女のほこりだったのだ。それを認められてとくとくとしていた。
だから何年も何年も、雪国で雪かきをはいりきってやり続けてきた。たとえ
一人であっても、彼女は自分の仕事をみとめてくれる人がいたからこそ
やり続けることができたのではないだろうか…。
村上春樹の仕事は
「『ダンス・ダンス・ダンス』で「文化的雪かき」と呼ばれた仕事に似ている。
誰もやりたがらないけれど、誰かがやらないと、あとで誰かが困るようなことは、
特別な対価や賞賛を期待せず、ひとりで黙ってやっておくこと。」
 村上春樹も特別な対価や賞賛を期待はしていなかったのかもしれないが
実際には彼の仕事に対しては対価が払われ、批評家からは辛口を叩かれた
としても、多くの読者からは賞賛を得ている。
 だからこそ、ここまで続けられたのではないか。反応がなかったら、やはり
なかなか文化的な雪かきもできないように私は思う。
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by nokogirisou | 2007-10-24 04:50 | 本と図書館

中島みゆき 新アルバム

  新潟日報の20日の夕刊に中島さんの新しいアルバムの記事が出ていた。
「パワフルに直球勝負」とある。
「そろそろ直球勝負で、やんちゃな歌を歌いたくなったんです」
パンチの効いたロック、ドスのきいたみゆきさんの声は、実はちょっと苦手なの
だが、これは聴いてみようかと思う。
 ハイライトは「Nobody Is Right」だという。自分を絶対的に肯定し、他人
を認めない人の危うさを突く歌詞だというところに興味を持つ。
 このごろ、とても強く感じるのだ。若い人の絶対的な自信。他人の言葉に耳
を傾けようとしない頑なさに虚しさを覚えている日々である。いつかは通じるだ
ろうという楽観的な気持ちにもならない。

 この新聞記事の中で私が目をとめたのは次のみゆきさんの言葉だ。
「言葉は、声を伴っていないと駄目なの。いくら美辞麗句を並べられても、声が
私の心に響かなければ、その人のことは信じられない」
 私も同感だ。言葉は声をともっていなければ。メールでなくて声をとおしてコミュ
ニケーションしたいと思う。詩もそうだ。活字のときにはのっぺりしているのに
声に出してよんだ瞬間、自分の心に響いてくることがある。子どもの本も声に
出してよんでもらうととても楽しいものに感じられる。
 声、やはり声は大切だと思う。
 
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by nokogirisou | 2007-10-21 21:30 | 音楽

声の出ない苦しみ

  今週は風邪をひいて苦しんだ。数日まえに同じ部屋のボス
の風邪をつぶさに観察していたのだが、まったく同じ症状をたど
った。あるところまで。

 まずは喉の痛み。頭痛。だるさ。そして咳、鼻水。ここまでくれば
「末期症状だ」とボスは言って笑った。そして自分の喉によく効いた
というトローチを私に分け与えてくれた。ちょうどそのころ、私は喉の
痛みにやられていた。
 ところが、私は咳と鼻水と同時に声がれが起こった。これがなかなか
しぶとくて、治らない。仕事がら声を出すので、さらにかれていく。
まるで別人のような声だ。そうなると、しゃべるのがおっくうになる。
挨拶するのがつらくなる。スーパーのレジで愛想をいう気にもならない。
できるだけしゃべらずに頭だけ下げたりする。これはよくないことだ。
声が出ないということはこんなにもストレスなのか。
 自分の声が恋しい。自分の声をとりもどしたい。
 願っても願っても声がれは治りそうにない。強いのどがほしい。
 私の風邪は喉から始まり、喉でおわる。
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by nokogirisou | 2007-10-20 21:16 | 日々のいろいろ

『声が生まれる』竹内敏晴

 「ことば」を見つけるとはどういうことか。
私はいったいどうやってことばを獲得してきたのだろう。
人前で、なかなか上手にしゃべれず、落ち込んだ経験は
たくさんある。人にわかりやすく話しをすることの難しさを
話し始めて何十年も経つのに、まだ感じている。
 「自分のことば」を見つけ出すためには、意志を持って一つ
一つのステップを踏んでいかねばならないと竹内氏はいう。
 この本は、16歳で聴力を獲得し、ことばと格闘した竹内氏の
実体験から始まる。耳が聞こえなくて、話すことが不自由だった
経験を持つ竹内氏は私たちが忘れたいたことを提示してくれる。
 息をはかなければ声は出ない。当たり前のことだ。息を吐くには
息をすわなければならない。けれどもそれだけでもたりない。一音
素一音素丁寧にコントロールしつつ発声しなければ、粒のそろった
ことばにならない。そういうことを私は全く忘れていた。竹内氏は
大学卒業後に新劇の裏方となり、その後演出となり、より具体的に
声とことばについて考えるようになる。演劇人を経て、市民とワーク
ショップを行い、様々なレッスンを重ねる中で、声とことばに対する
発見が続いていく。
 私自身は、この本の中に引用されているスタニフラフスキーや
ル・グウィンや、メルロ・ポンティ、マルティン・ブーバーやハイデガー
のことばに触発されることが多かった。
中でも「話しかける」とは全心身での「アクション」なのだということは
とても納得がいった。
 実は、この本を読みながら、私がずっと知りたかったことが何であっ
たか見えてきた。私たちが「ことばが通じない」と思うときの絶望感は
どこからくるのか。「まことのことば」を語ることができたという喜びは
どういうときに得られるのか。これは私自身の課題なので考えていか
ねばならない。
 
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by nokogirisou | 2007-10-11 21:26 | 本と図書館

斎藤美奈子講演会「文学との付き合い方」

 新潟市中央図書館開館記念講演会「文学との付き合い方」を
聞きに行った。会場は「ほんぽーと」の3階びーんずホールにて。
斎藤氏は新潟市出身。同じく新潟市出身の作家火坂雅志と高校時代
同級生だったという。
 斎藤美奈子の名前は『妊娠小説』以来、ずっと気になっていたが
本物にお会いするのは今回が初めて。批評ではずっぱずっぱと作家
を切り倒すが、実物は小柄なチャーミングな女性。目がとても特徴的
だった。なんともう50歳をすぎられたそうだが、私は彼女を見て、話を
聞いて50歳になるのも怖くないなと思った。 
 活字離れが叫ばれて久しいが、よく言われるように若い世代が活字
離れしているのではなく、年齢があがるにしたがって活字離れをしている
という。それは統計上明らかだ。また特に文学は歳を重ねるにつれて
敬遠されるものだという。なぜならば文学は恋愛、青春をテーマにした
ものが多く、歳をとるとそんなものはどうでもよくなるかららしい。
 彼女は、私たちに、時代ごとのベストセラー小説のリストにそって小説の
批評的読み方を提示してくれた。文学の読み方はいろいろあり、「共感」読み
「教訓」読みばかりしていては世界が狭まってしまう。何かに絡めて読む、
複数の本と比較する中で、本は立体的に見えてくると力説する。 
 彼女はその実例として渡辺淳一の『化身』『失楽園』『愛の流刑地』の3冊を
比較しながら、時代背景とリンクさせて読む面白さを披露してくれた。
 この3作共通点がある。ほぼ10年の間を経て3作が書かれているがいずれも
日経新聞の連載小説だという。どれもベストセラーになっている。しかしこの3作
は書かれた当時の日本経済を如実に反映している。『化身』はとにかく、華々しい。
主人公の男のはぶりがよい。『失楽園』では不倫カップルが様々な服を着、おい
しいものを食べ、あちこち旅をする。それに比べて最新作の『愛の流刑地』はとに
かく2人とも貧乏くさい生活をしている。なるほど。
 とにかく文学というのは、複数の本を、いろいろな観点から読んでみると新たな
発見があって、おもしろいぞというお話だった。
  たくさんの小説が引き合いにだされ、紹介されたが、おもしろかったのは
近代文学はクラシック音楽でたとえるとヨハン・シュトラウスの「青き美しきドナウ」で
現代小説はラヴェルの「ラ・ヴァルス」だというところ。なるほどと思った。近代文学
の線の太い、わかりやすい安定した筋立てに比べ、現代小説はゆらぎがあり不安定。
おもしろい比喩だと思った。
 ミーハーな私はその後、斎藤氏にサインまでしていただいたのだが、一言交わして
みて、そのおちゃめさに魅了された。まるでいたずらっ子のような表情だった。
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by nokogirisou | 2007-10-06 19:34 | 本と図書館

「ほんぽーと」新潟市中央図書館

 オープンした新潟市中央図書館に行った。いやいやびっくりだった。
こんなに図書館に人がいるのを初めて見た。親子、学生、年配の人
から若いお姉さんまで様々な年代の人が集まってきている。
 人でひしめいている図書館というのはよいものだ。
オープン間もないので今はめずらしさで来ている人も多いだろうが
これからが、勝負だろう。市民に根付くかどうか。図書館を育てていく
のは市民だ。かしこい利用者になっていきたいと思う。
 私はこれまで、古い専門書や高価な本以外は何でも買って読んで
いたがこれからは図書館を利用したいと思った。新しい本がたくさん
入っていることも、一人10冊まで借りることができることも、アクセスが
便利なことも魅力だ。視聴覚ソフトの貸し出しもできる。開館時間も8時
までという。日曜祝日も営業している。本当にありがたい。
 学生時代、東京の公共図書館は資料数多く、とっくに視聴覚ソフトの
貸し出しもしていて、本当に便利でありがたかった。新潟に戻ってきて
から、いつも図書館に物足りなさを感じてきたが、やっと生活の場に図書館
がやってきてうれしい。
 また喫茶、アイスクリーム店など入っているのもうれしい。
出店は「カーブドッチ」だ。本を読める喫茶が好き。滞在型の図書館に
なったことがうれしい。
 
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by nokogirisou | 2007-10-06 19:21 | 本と図書館

若桑みどり氏の死去

 朝刊で若桑氏の氏を知った。ショックだった。71歳だった。
若桑みどりの名は岩波新書の『女性画家列伝』で知った。その後、若桑氏
を師と仰ぐ先輩から『レット・イット・ビー』を紹介された。これは自分で金を
出して買えと言われてすぐに探して購入したが、以後私の愛読書となった。
何度読んでもいつも新鮮だった。
 前書きには1988年9月15日の日付が入っている。これはアカデミックな
ものにこだわった若桑氏にめずらしいエッセイ集である。『レット・イット・ビー』
のおかげでで私は若桑氏をいつも身近にそして、おそろしく感じてきた。
彼女は長い間大学の教育に関わってきたが、彼女の教育目標 は、「第一に、
学生が自分を取り巻く文化的環境について知識と批判力をもつことです。」
だった。「批判力」を持つのはむずかしい。自分なりの見方、考え方を持たな
ければ批判はできない。そして見方や考え方というのは、だいたい人の影響を
受けている。それを認めつつ、プラスアルファの小さな自分の発見を加えるトレ
ーニングが必要だ。
 「『死』もまた生き残った者のためにあるのだ」これは「ソクラテスの鶏」という
エッセイの中にある若桑氏のことばだ。「いかに死ぬかもまた、周囲との共同
作品だ」とも書いた。若草氏の死を残された者…私はどう受け入れて生きようか。
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by nokogirisou | 2007-10-04 21:57 | 本と図書館

アン・サリーの音楽ふたたび

 いつもお世話になっているYさんのご好意で、アン・サリーのアルバムを
すべて一気に聴くことができた。
 心地よく、心から楽しめた。3足わらじを履いている人とは思えないほど
精緻でプロ意識に溢れた作品である。自分のペースを大切に守っている
のだろう。歌がすきなんだなということが伝わってくる。何より自然体。
売らんかな、という心持ちや受け狙いの商売臭さが感じられないところが
本当に気持ちよい。全部で72曲連続で聴いて飽きなかった。
 個人的には、日本語の歌よりも英語やスペイン語の歌の方が好きだ。
声が音符によくなじんでいるというのだろうか。
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by nokogirisou | 2007-10-02 22:18 | 音楽