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年賀状1

 年末ぎりぎりに年賀状を書いた。中学時代からの友人は数人。
高校からの友人も数人。大学時代の友人は十数人。恩師数人。
あとは社会人になってから出会った人たち。この枚数の多いこと
といったらない。年を重ねたということでもあるが、大人になってか
らの人間関係が私の「今」にとても影響を与えていることでもある。

 年賀状というのは、書き始めると辞められない。年に一度交わす
だけの関係もある。面倒くさいなと思うこともある。けれども年賀状
の一言がうれしくて続けている。
 私は数年前から、パソコンで宛名管理をするのをやめた。正月に
届いた年賀状を年末にじっくり読みながら、宛名も本文も手書きにし
ている。正月もらったときより、年末の方が真剣に読んでいるという
のも皮肉なことであるが。
 「この忙しい時代に、年賀状にそんなにエネルギーをつぎ込むなん
て無駄だね」と職場のおねーさまに笑われるのだが、だからこそ手書き
にこだわる。
 オモテもウラもパソコン任せの年賀状をもらってもなんとも味気ない
気がしてならない。宛名だけでも手書きの方が嬉しいと感じるのは私
だけだろうか。
 
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by nokogirisou | 2007-12-31 20:40 | 手帳

「武士の一分」

 山田洋次監督、木村拓哉主演の時代劇「武士の一分」をテレビで放映
していたので見た。「風の果て」ですっかり藤沢周平の作品に魅了された
ので興味があったのだ。
 「一分」とは「一人前の存在として傷つけtられてはならない、最小限の威厳」
だという。威厳だとかプライドだとかいらない…と思った頃があった。意地や
格好つけではないかと。しかし最近、人を人にしているのはこういう尊厳かな
と思うことがある。誰にも人から冒されてはならない尊厳があると。
 この映画を美しくしているのは、主演ではなく、妻役の壇れいと忠実な中間
の徳平役の笹野高史ではないかと思う。妻は、最後まで愚直で献身的である。
そして夫を心から愛している。現代にはあまり見られない女性像かもしれない。
自分のことを二の次に主人を大事にするという感覚、どんなにののしられても
責められても愛しつづける情。彼女の話す山形弁はとてもあたたかく美しい。
徳平は、幼い頃から新之丞と加世を知り、二人をあたたかく支え続ける。身分
の違いがなくなった現代、こういう人間関係は見られない。
 
 果たして、三村新之丞は、下級武士。欲はなく、愚痴を言いながら勤めて
いる。その彼が、毒味の仕事で赤粒貝の毒にあたり、失明してしまう。人間は
絶望すると、意気消沈し、荒れ、死を思い、周囲を哀しませる。人は弱い生き物
なのだ。周りの者はおろおろするばかり。すべての悲劇はここから始まる。
 しかし、この悲劇的状況から夫婦が情愛を取り戻し、ふたたび生きることに前
向きになるためには、裏切り、復讐とさんざんな出来事が用意されている。
 もう、十分予想される、予定調和な筋書きなのだが、やはり涙をとめられないの
はなぜなのか。そこに生きる人が真剣だからだと思う。
 もうひとつ、私が気になったのは、小鳥である。新之丞は小鳥を愛し、番で飼って
いる。そして盲目になってからも小鳥の声を聴く。果たし合いのときにも鳥の声が
聞こえる。この作品の中で鳥がとても象徴的な役割を果たしているということだ。
 いい作品を見たと思った。
  
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by nokogirisou | 2007-12-30 23:37 | 映画

仕事納め

 先日、インフルエンザのことを書いたが、実際にかかっていたのは
1人で、あとはおなかの風邪であった。ウイルス性胃腸炎というおそろしい
風邪である。
 おかげで、本当にあちこちの約束をキャンセルすることになり、食事は
おかゆとうどんの粗食続き。こちらは、やっと喉の調子がよくなり、食欲
もりもりなのだが、家族が病気では、ごちそうなど食べれない。夜もでかけ
られない。今日も忘年会に出られなかった。ついていない…。
 両親は、年齢のせいもあり抵抗力がない。しかも頑固でこちらのいうこと
をきかない。不機嫌である。
 ほんとうに病気に振り回される年末だ。健康第一だと改めて思う。
 
 ところで、今日は仕事納めだったが、昔にくらべて情緒がなくなった。
まず、大掃除をする暇がない。6時半まで業務に追われ、そそくさ挨拶を
して帰ってきた。「今年もお世話になりました。よいお年を」と玄関でしみじ
み語る余裕などない。
 本当に職場に余裕がなくなったと思う。机の上はぐちゃぐちゃ。4日に仕事
の続きがすぐにできるようになっている。
 6日間は、まったく職場にいかなくてよいのだ。これはすごいことだ。

 それにしても、とても年を越せる状態ではない。年賀状はまだ書いていない。
大掃除なんてとんでもない。クリスマスツリーも片づけてない。今年中にやらねば
ならない仕事は残っているし、読みかけの本も山のようだ。とほほの年末である。 

 
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by nokogirisou | 2007-12-28 22:23 | 日々のいろいろ

ザビーネ・マイアー

 今朝のFMミュージックプラザで、ザビーネ・マイアーのクラリネットを聴いた。
なんだか懐かしい。クラリネットの音は、あたたかくて冬に恋しくなる。
 モーツァルトのクラリネット5重奏曲だ。昔、よく聴いた曲だ。なつかしくなる。
1982年にカラヤンがベルリンフィルにマイアーを採用しようとして、ベルリン・フィル
との間で確執があったことは当時話題になった。とてもすてきな女性だった。
以来ソリストとして活躍している。今では、結婚され、子どもさんもいるそうだ。
 時の流れは、なんと速いことだろう。
 自分も年をとるのだから、演奏家達が年を重ねるのも当たり前のことだ。

 体調が少しよくなり、休みが近くなってくると音楽を聴きたくなる。ゆとりが生まれた
ということだろうか。
 
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by nokogirisou | 2007-12-25 23:25 | 音楽

インフルエンザ

 24日はクリスマスイブ。街ははなやいだ雰囲気なのだろう。
 おいしいものの香り、好きな人たちと一緒にいる幸せな顔。
プレゼントをねだる子ども達。クリスマスツリーの輝き。
 当たり前のクリスマスがありがたい。
 さて… 
 毎年、念のため、我が家はインフルエンザの予防接種を受けている。
ところが、今年はばたばたとインフルエンザに倒れ始めた。
1 症状は突然くる。
2 急に身体がだるくなり、寒気がする。
3 食欲がなくなる。
4 熱が出てくる。
5 起きあがれない。あとは風邪の症状。
 医者によると症状から8時間たたないとインフルエンザかどうか
診断できないのだという。
 また診断しても10代にはタミフルを処方しない。
 大人には本人の意志を確認してからタミフルを処方する。
 インフルエンザ騒ぎで、今年は、残念ながらクリスマスどころでは
なかった。予防接種というのは効果があるのだろうか?
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by nokogirisou | 2007-12-25 05:47 | 日々のいろいろ

声を失う

  風邪をひき、声の出ない苦しみをここに書いたのは記憶に新しい。
もう、こんな思いはしたくないと思って、イソジンで毎日うがいをし、注意
していたのだが、私はまた喉をいためてしまった。
 ちょうど、仕事の山が終わりかけたころだった。ちょっと気持ちがゆるんだ
のだろう。その隙に喉の風邪がやってきた。
 今度は、となりの席の職場先輩の風邪がうつったようだ。となりの彼女が
咳を始め、具合が悪いと言った翌々日から私にも症状が出始めた。
以来私はずっとマスクが離せない。
 ところが、いつもの風邪では終わらなかった。薬を飲んでも飲んでも、
咳がとまらない。むしろひどくなる一方なのだ。とにかく激しい咳が発作の
ようにやってくる。ちょっと気温が変わったり、魚をやくけむりを吸ったり、タバコ
の匂いがしたり、空気の環境のわずかな変化を私の喉はとらえる。来たなと
思うと激しい咳に襲われる。その間は、しゃべれない、考えられない。とにかく
苦しい。息ができない。涙が出て、鼻水が出て、胸をかきむしる。とても人に見せ
られない姿である。ひたすら耐えている。喉が自分のものでないような違和感。
こういう時にに話しかけるのはやめてほしいのだが、みんないろいろ尋ねるので
ある。
「ちゃんと薬飲んでいるの?」
「どこが悪いの?」
くらいならまだよいのだが
「ねえ○○の書類、もう出した?」
「ちょっと教えて、△△の締切いつだっけ?」
には参る。こたえられませーん。声がでません。
 こうして、もう10日以上マスクを離せない。吸入も続けているがいっこうに
咳の発作はおさまらない。夜の苦しみはどう表現したらよいのだろか。
 けれども仕事の締切はどんどん来るし、寝ているわけにもいかないので
ある。悪循環の悪循環。
 こうしてブログを書くことができるようになったということは、それでもだいぶよくなった
ということだろうか?
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by nokogirisou | 2007-12-23 21:35 | 日々のいろいろ

村上春樹 『沈黙』

 『レキシントンの幽霊』の中に収められている短編を再読した。
なんでこの作品を読もうと思ったのかというと、たしか新潟が出てきた
ように記憶していたからだ。
 どこだっけ…とページをめくる。
 「僕」と大沢は空港で新潟行きの飛行機を待っているのだった。新潟
そのものは出てこない。12月の初めに、新潟はひどい雪が降って
いることになっていた。今年の12月の初めはたしかに新潟はひどい天気
だった。
 「僕」と大沢さんの関係はよくわからない。とにかく僕の「これまでに喧嘩
をして誰かを殴ったことはありますか」という質問に対して、大沢さんは
コーヒーを飲みながら、一度だけある人を殴った重い話を始めるのだ。
その殴ったことがきっかけで、殴った男の復讐に遭い、大沢さんはとても
怖い思いをすることになる。クラスの誰も大沢さんと口をきいてくれなく
なるのである。自分がいるのに、まるでいないように扱われるのだ。

 そして、以前も立ち止まったと同じ大沢さんの台詞で、私は立ち止まった。

「でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間のいいぶんを無批判
に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。自分では何も生み出さず、
何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見
に踊らされて集団で行動する連中です。」

 大沢さんの物語の後には沈黙が訪れる。
 沈黙のあとに2人はビールを飲みにいくのである。

 教訓で終わっていないことに私はほっとする。
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by nokogirisou | 2007-12-14 21:36 | 本と図書館

『ユーリーとソーニャ』アンリ・トロワイヤ著 福音館書店 

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 『ぐりとぐら』の山脇百合子が翻訳し、『りゅうのめのなみだ』の絵を描いた
太田 大八 が表紙絵を描いているので手にとった。「ロシア革命の嵐の中で」
という副題もついている。胸騒ぎを覚えながら読んだ。
 平和なロシアの裕福な家庭の描写から始まっている。古きよき時代の生活。
これまで読んできた外国の物語に出てくるようなすてきなごちそうの数々。あた
たかなクリスマス。この平和がどう崩れていくか。どきどきしてページをめくる。
 この物語はユーリーというこの家の男の子の目を通して描かれている。
華やかだが心配ごとの多い両親と、堅苦しく、進歩的な家庭教師、母親のお気
に入りの使用人ドゥニャーシャとその娘のソーニャ。その他の多数の使用人たち。

 子どもたちにはわけもわからないうちに世の中はどんどん変化していくものだ。
女と子どもはそれに翻弄されるばかりである。社会主義思想が浸透していくにつれ
て多くの農民や使用人たちは富裕層たちに反逆し、人間関係に溝ができていく。
ユーリーの父のような金持ちは迫害され、追われるようになる。ユーリーは自分
につきまとうソーニャのことを初めは好きではないのだが、革命派に追われ、父を
追いかける逃避行の厳しい旅の中で自然と彼女との恋に落ちていく。
  一方で、逃避行の悲惨でつらい旅が描かれ、一方であわい初恋が描かれる。
あわい…とはいってもこういう状況下での歳若い男女は親しくなるばかりである。
二人の接近具合にはまたどきどきさせられる。
 ユーリーはこの旅と恋を「冒険」ととらえ、少しもめげず、嘆かず、進んでいく。
彼らの危なっかしい旅をいつも支え、なんとかするのはソーニャの母のドゥニューシャ
だった。
 ドィニューシャのたくましさを見ながら、また次から次へのトラブルの中、おぼっちゃま
だったユーリーが少しずつたくましくなっていく様子が心地よい。
 しかし、最後は思わぬ終わり方をする。ほかの多くの子どもの物語のように大団円
では終わらない。「え?どうして」「そんな」と思わず声を出したくなるような終わり方。
むしろ私はリアリティを感じた。
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by nokogirisou | 2007-12-01 06:39 | 本と図書館