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ルスティカ

  ルスティカはイタリアンレストランである。裏通りにある小さな、気持ちのよい
店である。イタリア中部トスカーナ地方の料理とワインを専門にしている。昨年
の2月に年上の友人につれていってもらって以来、気になっていた店である。
 前回に訪れたのは、2月3日だった。ちょうどその翌日からお店をお休みにして
イタリアに「帰」られるとのことだった。新潟空港から、ソウル経由でローマに
入り、車でウンブリア州、マルケ州、トスカーナ州を回る旅にでたのだ。彼らは
毎年2月にイタリアに帰る。そしてトスカーナ地方の食材を求め、英気を養って
日本にもどってくるという。
 ほぼ一年ぶりに訪ねた店は、前回と同じように奥さんがあたたかい笑顔で迎え
てくれた。
 料理を待っている間にイタリア旅行中に撮影したという写真のつまったアルバム
を見せていただく。イタリアという国は私にとっては未知の国だ。
 ここのお昼は一日16食分しか生麺を用意しない。その触感、こしがすばらしい。
前菜のゴルゴンゾーラソースのサラダのあとに出てきた牛肉のラグーのショート
パスタもインゲン豆とトマトソースのスパゲティも美味だった。ふだん、私が家で
ゆでるイタリア産のスパゲティとも、これまでたべてきたイタリアレストランのパス
タ料理ともちがう。別物の料理のようだ。いっしょに出されるパンもまた独特でおい
しい。まわりの皮は厚めだがかりっとし、中はもちもち。酵母の香りがすてきだ。
パスタのソースをつけて食べると抜群だ。
 デザートは、「おばあちゃんのタルト」という名前だった。松の実の入ったフィリング
が香ばしくてとろけるようにおいしい。上にかかった白い粉砂糖は雪のようだ。
濃い珈琲と良く合う。
 満足であたたかい気持ちで店を出る。
 
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by nokogirisou | 2008-01-31 22:01 | 日々のいろいろ

今気になっている本

 新潮社の「波」を定期購読している。この新刊書評や連載を
楽しみに好んで読んでいる。
保阪正康の『即位と崩御』などは好奇心のみで読み続けている。
2月号で気になったのは『そうか、もう君はいないのか』特集だった。
昨年の3月22日に城山三郎が亡くなったのはまだ記憶に新しい。
その城山が死の直前まで、妻の記憶を原稿に書きつづっていたと
いう。
 夫が妻に先立たれ、ぽっかり空虚な気持ちになるというテーマは
繰り返されている。江藤淳も眉村卓もそうだ。
 私がこの本に興味を覚えたのは、映画作家の河瀬直美と児玉清
の書評を読んだからだ。2人のこの本の紹介の仕方にそそられた。
河瀬のキーワードは「丁寧に生きてゆく」と「役割」である。彼女は
この書評の中で、自分がなぜ映画制作をするかを書いている。
 「成し遂げられなかったことがあったとしても、それがわたしの人生
であるということを受け入れられた。そうして今ことのときを生きる『役
割』の一部に映画制作はある」
 児玉氏の書評はベタなのだが、ストレートに紹介しているが故に
城山の作品の魅力が伝わってくる。児玉氏の声がきこえそうな文章だ。

 もう一冊気になったのが『月のころはさらなり』
新潮エンターテイメント大賞をとった作品だが、この作者が書いた
「受賞の言葉」の引用に惹かれた。
「人を亡くす哀しみなんて、当たり前のことを一行だったって書いてやる
もんか。世の中には、理不尽なことや酷いこと、どうしようもないことが
いくらでもあって、それをただ書いても仕方がない。私が知りたいのは、
読みたいのは、それでも生きていけると、大丈夫だと、そう思える何かだ」

 「書く」ということはどういうことかを考えた。
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by nokogirisou | 2008-01-31 06:23 | 本と図書館

組織考

 今、私の職場は、変わりつつある。これまでとはちがう空気を
感じる。変わらねばならないということは、みなずっと感じていた
のだが、動きとなって現れてきた。連日遅くまで会議がもたれる。
みんなの合意でシステムを変えるというよりは、流れで、どうしよう
もなく変わらざるを得ないという空気だろうか。
 入り込むのは競争原理である。

 他の職場からやってきた人たちは、
「前の職場ではもっと○○していました」
「ここではまだこんな事やっているのか…」
「こんなやり方ではだめだよ」
と厳しい批判をする。
 その声がどんどん大きくなって、そちらの流れになっていく。
こうやってどこの職場も同じような流れで変わっていくのかもしれない。
 しかし今必要なのは、調整役のような気がしている。
以前からここにいる人たちと、新しく来た人たちをつなぎ、調整する
役割の人。みんながみんな「わしが、わしが」と言っていては組織は
回らない。
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by nokogirisou | 2008-01-27 09:35 | 日々のいろいろ

『翻訳のココロ』鴻巣友季子著 ポプラ社

 『嵐が丘』の翻訳で注目された翻訳者のエッセイである。
自分はまったくできないが、翻訳には興味を持ってきた。
村上春樹の影響かもしれないが。作品の雰囲気、匂いまで
訳せる訳者はすごいと思う。翻訳者の書いたものはできるだけ
目を通したいという願望があって出会った本。
 いや~とにかく彼女が読書家であるという点に脱帽した。この
本にはたくさんの本がでてくる。そしてどれも読んでみたくなる。
彼女は翻訳家であるだけでなく書評家、本の紹介上手なのだ。

 鴻巣さんは学生時代から翻訳家をこころざし、下積み、修業
時代にはなんでもやって、異業種の人たちと関わってきた。その
中で翻訳とはなんだろうと考えてきたことを書き連ねている。
「翻訳とかけてそのこころは?」
 「翻訳は棒高跳びだ」「翻訳はマラソンだ」「翻訳は二人羽織だ」…
彼女の巧みな比喩から翻訳の世界をかいま見る楽しみを味わった。
どこの世界も奥が深い。横のものを縦にするだけではない。翻訳は
表現であり芸である。「巧な訳だ」と読者に思われるようではだめなの
だという。 
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by nokogirisou | 2008-01-20 22:03 | 本と図書館

ベートーベン その2

 「悲愴」「月光」「熱情」「テンペスト」「ワルトシュタイン」「告別」と聴い
てきた。
 ポリーニの演奏はリズムがとてもきちんとしているのでとても落ち着く。
偏りや、引きづった感じがなく心地よい。それていて、パッションのある
弾き方なので単調さがない。
 そして、自分はピアノという楽器がやはり好きなのだということに改め
て気付いた。思いいれを持って聴いてしまう。音色そのものが他の楽器
にくらべて美しいというのではない。ピアノにはピアノの限界があり、最も
手軽でポピュラーな楽器ゆえに神秘性や崇高さに欠けると感じられる面
もある。それでもピアノにしかない自由さと可能性がある。 
 ベートーベンは、読書をしながら、書き物をしながら聴いていて心地
のよい音楽だということを発見した。古典派までの音楽は概してそうな
のかもしれない。聴きながらとても仕事ができない、ほかのことに集中
できない音楽もある。聴いていて疲れる音楽もある。そもそも音楽は、
そのものに集中して聴かないともったいないと思うが、日常生活の中で
は、聴きながら何かをするという場面も多い。その際、ベートーベンは、
悪くない音楽だと思った。
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by nokogirisou | 2008-01-19 22:23 | 音楽

くりかえす

 親はただ親だという理由で子どもを管理し
 言うことをきかせようとする
 それはちゃんとした大人になるまで続く
 「なんで親はえらいの?」
 「なんで親だからって、命令するの?」
 「なんでぼくのいうことをきいてくれないの?」
 子どもはいつも不満だ
 ふるさとと親は選べない
 その親もまた…子ども時代に同じことを思っていたのだが
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by nokogirisou | 2008-01-18 23:17 | 日々のいろいろ

『セロになるからだ』(覚和歌子 徳間書店)より

 
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 覚和歌子の名前は知らなかったのだが「ゼロになるからだ」という
言葉は覚えていた。「いつも何度でも」の歌詞にあったからだ。木村弓の
歌で何度も聴いたし、私も歌った。『千と千尋の神かくし』の映画そのもの
よりも、この歌の方が私の中に印象深く残った。それは「ゼロになるからだ」
という言葉にぐいっと引っ張られたからだ。カラダはゼロになるのだ。では
ココロは?そういう疑問が私の中にしみわたる。
 この本の中に物語があふれている。単なる詩ではなく、単なる物語ではない。
帯には「祈りのような物語 寓話のような詩」とある。巻末に覚さんにオマージュ
を贈っている谷川俊太郎もまた「ゼロになるからだ」という言葉に魅せられて
いると書く。そして「からだがゼロになるとき、それは死のときだとも思えるが、
生きていてもそういう瞬間はあるのでないか」とも。
 数々の物語でとても不思議で印象に残ったのは「火遊び」という詩。
どっきりした。 こういう表現の方法があるのだと新鮮だった。
 好きになったのは「電話」という詩。
 
   電話

 娘は思った
 
 ひとを愛するときは
 死んだ人を思うように
 
 会えないことを嘆きもしなければ
 ときどき静かにその人のいいことだけを思い出したりして
 いつでもそのひとのしあわせをいのったりして

 娘はなんどもいいきかせた
 その人を愛するときは
 死んだ人を思うように
 
 近くにいると 奪わずにはいられないから

 長距離電話のなかでつづく長い沈黙に
 しんと耳をすますように
 言葉のない言葉どうしを
 一本の電話選がつないでいると信じるときのように

 その人を愛するといは
 死んだ人を思うように

 けれどいつかまた逢えたら
 やっぱりめちゃくちゃに抱きしめてしまうだろう
 大切なものをすこし乱暴に扱うように

 背中なんかを ばんばんたたいて
 あなたが 本当は死んでいなくてよかったと
 そのことだけで うれしいといい

 嵐が通り過ぎたあとはいつも
 痛いほどの 青空が広がる
 
 やがて青空さえ いやされるときがくる
 電信柱にそっとたれこめる
 しずかな宝石の夕暮れに

 
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by nokogirisou | 2008-01-18 05:36 | 本と図書館

ベートーベン その1

 私にとってベートーベンはずっと気むずかしいおじさんだった。
ピアノを習っていたころ、ベートーベンの曲は好きになれなかった。
楽しくない。単調な感じがすると思いこんでいた。本当にながいこと、
ベートーベンのピアノ曲は退屈だと思ってきた。
 しかし人の好みは変わるものである。
 たまたまFMで聴いた「月光」ソナタが心地よかった。「のだめ」のお蔭
で、ベートーベンの交響曲のイメージもよくなっていた。落ち着いて聴い
てみたいという気分になった。最近ますますベートーベンに対する興味
が湧いてきて、まとめてピアノソナタを聴きたいと思った。ベートーベン
のソナタは多くのピアニストが弾いている。いろいろ聞き比べてみたい
と思った。
 まず最初に選んだのは、ポリーニだった。
 力づくでなく、テクニックだけでなく、感情だけでなく、哲学だけでなく
弾くベートーベンが聴きたかった。まだ他のピアニストと聞き比べたわけ
ではないので、なんとも言えないのだが、誠実でスタンダードなベートー
ベンに聞こえた。でも本当のところはわからない。私はいつも印象で聴い
てしまうので、もっと分析的に聴きたいと思う。それには沢山聴くことと
比較して聴くことが必要かなと思っている。

 
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by nokogirisou | 2008-01-17 21:56 | 音楽

こころの時代~宗教・人生「あなたと共に生きたい」

  出張先で朝起きてたまたまつけたテレビで「こころの時代」をやっていた。
インタビューに答えているのはグループホーム「ふうせん」の代表の角田妙子さん。
差別的感情をもっていることが耐えられなかった…という言葉にひきつけられる
ようにして番組を見続けた。私の中にも間違いなくある差別感情。
 29歳のとき、彼女は体を壊して1年近く仕事を休む。退院するとき、医者から「あと
10年」と余命宣告される。誰にも言えないまま死を意識して生活する中で難病の友人
と出会い親しくなるが、自分から耐えられなくて職場を変えたという。しばらくしてその友
人が亡くなったという連絡を受けた。思わず電話で「自死でしたか?」と聞き返した自分
が許せなかったと角田さんはいう。
 死へのカウントダウンを始めてから、4、5年経ったとき、池袋の地下通路にいるホーム
レスの人たちを見たとき、その人たちも生きていて、自分も生きているということに引っか
かったそうだ。彼女は「山谷」に通い、炊き出しの活動をしていた。山谷とは、日雇い働き
の人たちが泊まる簡易旅館が多くかたまっているところである。現町名でいえば台東区
清川、日本堤あたりか。
 炊き出しの最初の頃は、怖くて膝ががくがくとしたという。しかし周りの人達がそれを受け
いれてくれたので 続けることができた。彼女に影響を与えたのは「石瓦礫の舎」主宰の
梶大介、真理子夫婦だったそうだ。極貧の生活を経て、山谷の人たちを支え、彼らの自立
支援を進めた人だ。角田さんが炊き出しを始めて3、4年経ったとき、「あと10年」と言った
医者に実は誤診だったと言われる。彼女はカウントダウンをしなくてよくなった。
 山谷で炊き出しをやっていたとき、本名を教えてくれた女性がいた。すでに彼女の体
は病魔に冒され、角田さんは救急車を呼び、彼女を入院させる。彼女に試されながら、
彼女を見守り、彼女の最期を看取ることになる。彼女が10年の命と言われ、死と向き合っ
ていたことがそのときに生きていたようだ。
 このホームレス女性との出会いの経験がグループホーム「ふうせん」を造るきっかけと
なった。女性のホームレス経験の老人たちのためのホームである。入居者は、みんななり
たくてホームレスになったわけではない。とんがっていたり、暴言を吐いたりすることも多々
ある。けれども共に暮らす中でみんな丸くなっていくという。
 差別感情は、当事者として関わらなければなかなかなくならないと私は思う。
 自分の中のひっかかるものに素直に生き続けた角田さんの生き方、そして語り方に私は
魅力を覚えた。「ふうせん」と角田さんを気にしていきたいと思った。
  
 
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by nokogirisou | 2008-01-14 09:32 | 日々のいろいろ

『暮らしの哲学』池田晶子著 毎日新聞社


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 この本の帯の引用と表紙の写真に惹かれた。
 昨年2月23日彼女が腎臓ガンで亡くなったときはとてもショックだった。
彼女の変人ぶりは、とても勇気づけられるものだったし、彼女は
ずっと気になる書き手であったからだ。これは彼女が死ぬ直前まで書
き続けた「サンデー毎日」の連載エッセイをまとめたものだ。
 帯の引用文にはこうある。
「人生は、過ぎ去って還らないけれども、春は繰り返し巡り来る。
一回的な人生と、永遠にめぐる季節が交差するそこに、桜が満開
の花を咲かせる。人が桜の花を見たいのは、そこに魂の永遠性、
永遠の循環性を見るからだ。それは魂が故郷へ帰ることを希うような、
たぶんそういう憧れに近いのだ。」
 
 考えさせられる著作だが、中でも私が印象深く読んだのは「ことば」
についての考察とアンチエイジングに対する考えだった。
 私は言葉の力を信じる。
私にとって、やはり意味は重要。池田晶子が書いているように、明日
確実に死ぬとわかったとき、私は言葉を求めるだろう。人生の真実を
語る言葉を求めるだろう。
「世界とは言葉であり、言葉こそが世界を創っている」と池田は言う。
その感覚は私にはなかった。言葉は、私にとって消費し、蓄積すべき
個人的なものだったからだ。
 池田晶子は「言葉の裏側に出ちゃっている」という。裏側に出るとは
どういうことなのだろう。言葉をつきぬけた世界を知っているということか。
どうもあっち側からこちらの世界を見ることができることか。つまり客観化
できるということではないか。 
 言葉は意味であるとともに音である。私箱どもの頃に響きの美しい語を
探すあそびをしていた。「らりるれろ」の付く言葉が私には美しくきこえて
ならなかった。池田によると空海の言語哲学は意味ではなく音だったと
いう。
 アンチエイジングについて
 私は、若さもすばらしいことだと思うが、年を重ねることもすばらしいと
思う。だから、若さに執着することよりも、成熟を求めて年をとっていくこと
を受け入れたい。年をとったからこそわかること、年をとったからこそ持てる
ものがある。そう信じている。だから若く美しい人をうらやましがらない。
 池田はどう捉えるか興味があった。「執着する、失うまいとしがみついて
生きるというこの生きる姿勢自体が、じつは相当キツイものなのではないで
しょうか。そこにあるのは、失うことへの恐れと不安と焦燥でしかない。」
池田は「年をとることを、おいしい、面白いと感じるのは、自分の心がいよいよ
深く豊かになってゆくのをはっきりと自覚するからです。」と書く。これを読むと
私は年をとることを怖がらなくてもよいのだと思う。
  
  池田の犬との生活もまた興味深かった。覚悟を持って犬と暮らしている。
そう、池田晶子は覚悟の人なのだと思う。

 
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by nokogirisou | 2008-01-13 21:17 | 本と図書館