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ドミトリ・キタエンコ

  先日のドミトリ・キタエンコのチャイコフスキーがすばらしくて、
しばらく耳から、交響曲5番とヴァイオリン協奏曲が離れなかった。
鍵冨くんの演奏に対しては、様々な評価があるだろうが、私はとて
もいい印象を持った。自分の持っていた、ギドン・グレーメルの演奏
や、同じキタエンコの指揮の諏訪内晶子の演奏とも違う繊細な澄
んだ音色とうねりが耳に残っている。
 キタエンコの指揮をもう一度見たい、聞きたいと思っていたら、3月
にまた新潟に来るという。今度は、ウィーン放送交響楽団とともに。
曲目がまたすごい。ベートーヴェンの5番とブラームスの1番だ。
こんなポピュラーなシンフォニーの組み合わせがキタエンコの指揮
で聞けるとは…。しかしS席は15000円。なんとしてもオルガン側の
P席のチケットがほしかった。あの場所はオーケストラがよく見えるし
指揮者の表情も見える。しかも4000円という安さ。
 1週間前、電話予約ができないと言われて、私は、会場のりゅーとぴあ
のチケットセンターに出向いたが、なんとP席はすべて売り切れ。他のプ
レイガイドを教えてもらって一つ一つあたっていった。デパートのプレイガ
イドにたった一枚だけ残っていることがわかった。私は閉店近いデパート
に思わず走って買うことができた。
 うれしかった。目当ての席のチケットが手に入ったときのうれしさといった
らない。これを楽しみに3月まですごせそうだ。
 さて、今日の新潟日報の音楽時評に今頃、先日のキタエンコ指揮の東響
定期公演のことがとりあげられていた。鍵冨くんに好意的な批評でほっとする。
キタエンコの5番が遅く始まったことを指摘して「静から動へ絶妙なタッチ」と
書いてあり、納得。私もあのゆっくりテンポの5番が4楽章で激しく展開したこと
が印象に残っていたからだ。
 3月までにいろいろなベートーヴェン5番、ブラームス1番を聞いてみたい
と思っている
 
 
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by nokogirisou | 2008-10-30 23:48 | 音楽

『冷静と情熱のあいだ』江國香織・辻仁成著

 
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 どうして今までこの本を読まなかったのだろう。
もう出版されて9年も経っていた。江國と辻が、『右岸』と『左岸』という
本を出すことを知り、そう言えばと思い出して、この本を読むことにした。
 今、こうして読むことができたのは、幸運だったか、運命だったか…。
フィレンツェのドゥオーモを登ってきたからこそ、そしてフィレンツェの青空
を見てきたからこそ、この小説の魅力がより鮮烈に感じられるのかもしれ
ない。
 職場の同僚が「赤から読むといい」と教えてくれたので、江國の「Rosso」
から読み始めた。江國は「あおい」の立場から書く。あおいはアメリカ人の
マーヴに愛されながら、ミラノで暮らしている。ミラノは新しいものと古いもの
が混在する街だ。あおいは、ひたすらマーヴに愛されながら、それを受け入れ
ながら、自分の心に空虚感があることを認めている。彼女は本とお風呂に逃げ
込む。ある日古い友人の崇と再会することで、そして、大学時代に深く愛し合い
つつも別れたかつての恋人、阿形順正から手紙がきたことで、彼女の運命が
ふたたび動きはじめる。あおいはようやく自分に正直になるというのだろうか。
静謐な時間が急に動的になり、あおいも積極的になっていく。あおいはマーヴの
アパートが自分の居場所でないことに気付き荷物もまとめる。
 あおいは、順正と2000年の30歳の自分の誕生日にフィレンツェのクーポラで
会う約束を覚えていた。そして、順正もまたそれを覚えていた。
 2人は運命的な再会を果たすことになる。
 「Rosso」では、劇的な再会を果たしながらも、それぞれが孤独な本音を言え
ずにそれぞれの生活に戻ろうとするところで終わっている。
 辻仁成の「Blu」では、順正の側から彼の生活が描かれる。彼の方があおいより
もアクティブである。絵画の修復の仕事をしながら、芽実という美しい恋人もいる。
芽実に甘えられながら、自分の人生をかみしめながら、やはり彼もまたあおいの
ことを忘れられないでいる。そもそも2人の別れが、自分の未熟さ故であったこと
を彼はすでに自覚している。どうしようもできない過去を抱えて彼もまた生きていた。
 順風満帆に見える彼の人生も、職場を失ったり、恩師の死があったり、父との不和
唯一尊敬する祖父の病と死があったり波乱が続く。そんな中で芽実も順正のもとを
去っていく。
 たくさんのものを失って、順正は約束のフィレンツェのドゥオーモに赴く。
 再会後の気持ちの揺れは順正の側からリアルに描かれる。
 彼はそれまでの思いが、再会によってゼロになってしまうことを恐れる。
 そしてとうとう彼は、電車に乗ってあおいを追いかけるという行動に出るのだった。
私は「Blu」のこの最後を読んで救われた気がした。もし再会後、真実を語り合うこと
なくこの2人の関係が封印されてしまったら、なんとむなしいことだろうか。
 2人の今後の可能性を暗示してこの小説は終わっている。
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 もう一度、若い時代に戻って恋をするとしたら、やはり私は精神的な結びつき
を求めたい。分かり合えても、分かり合えなくても、一緒にいて語り合い続けられる
そういう恋をしたいものだと思う。あおいが順正の存在にそれを求めたように。
 

 
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by nokogirisou | 2008-10-27 23:10 | 本と図書館

『大人になるヒント』中沢けい(メディアパル)


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 想像していた以上に中身の濃い本で、一気に読めた。
 中学生向きの本のようだが、ちょっと中学生にはむずかしいかも
しれない。読者を中学生に限定することはないだろう。すでに年だ
けは大人になっている私自身にとっても読み応えがあり、切実に読
むことができた。この本にあるように「中学の頃から変わっていない
ことってけっこうある」ものだ。高校生や大人が中学時代のことを思
い起こしながら読むと、この本の中の言葉の重みや厚みを実感できる
のではないか。
 目次を見るとおもしろい。「SHR」からはじまり1時間目から
5時間目まで大きなテーマにそって語られ、「SHR」でおわっている
という体裁をとっている。
 各時間の終わりに、具体的な「おまじない」がついているのもおもし
ろい。こういう工夫は読者にとってありがたい生きる知恵になると思う。
 章立てはあるが、くりかえし同じテーマや話題が出てくることもあり、
読み進めながら、直接著者の中沢けいと対話をしているような錯覚に陥
る。中沢けいは本の中で自身のことを無防備なくらいストレートに語っ
り、親近感を覚える。
 この本には、生き方、大人になること、人生について書かれているの
だが、見落とせないのは本との出会い方、本の読み方が随所にでてくる
ことだ。
「ことばを知らないと見えないものがある」「人に寄り添う」「『人のた
めに』ということ」「ほんとうのことを知るために」等の章で、彼女独特
の文学論や読書論が展開されていてとても興味深く読んだ。
 この本のもう一つのテーマは「世代」だろう。中沢けいの親の世代の価
値観、中沢自身の世代の価値観や育ち方、そして現代の若者の価値観や育
ち方の変遷や流れがとてもわかりやすく書かれていて、とても納得がいく。
 ただ協力者の中沢ゼミの学生さんたちによる、「学生が語る」の座談会
のコーナーは不要のように感じた。各時間の扉のページに書かれている学
生さんの言葉や中沢けいの引用する学生の言葉で十分伝わってくるように
思った。

 実は私は、高校時代から大学時代に中沢けいの小説をかなり集中的に
読んだことがある。だから彼女のエピソードにはおなじみのものがあり
彼女の古風でベタな感じ方がこの本の中でまだ健在でとてもうれしく思
ったりもした。
 彼女がこの本の中であえて持ち出している「尊敬」「魂」「名誉」「プ
ライド」「美」などという古めかしい言葉も、彼女を通すと、ちょっと
新しい輝きをもって見えてくる。もちろん、彼女が子どもを育て、本を何
冊も出し、人生経験を積んできたからこそ、一言一言が、より洗練され、

味わい深くなり、重みをもってくるのだろう。忘れていたことを一つ一つ
思い出し、共感を覚えながら読み進めることができた。
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by nokogirisou | 2008-10-23 22:38 | 本と図書館

チャイコフスキー交響曲第5番ホ短調

 クラリネットの「運命の動機」をきくと、ああこの曲だと思う。
上から見ていると、それぞれの楽器の出番がよくわかって
おもしろい。フルート、ホルン、トランペット、それぞれが聞か
せどころをきちんと聞かせてくれる。
 オーケストラの背面の席だったため、指揮者の表情や、指
の動きがよく見えて、興奮する。キタエンコ氏は、譜面を見ず
に最後まで指揮をしていた。
 この曲は大好きな曲だし、何度も聴いたことがあるのだが
今日はまた特別いつもの五番とは違う趣を感じるのはなぜ
だろう?テンポの揺れに特徴を感じた。
 第3楽章のワルツはとてもかろやかで華やかで、楽しい。
クラリネットとファゴットの音色がとても美しい。
 第4楽章になって「運命の動機」が長調になったのがわかった。
ヴァイオリン奏者たちの激しい弓使いに圧倒される。おなじみの
ファンファーレ。ここまできてしまった。もっともっと聞いていたい
のに。
 拍手なりやまず。ブラボーがあちこちから聞こえる。
 なかなかの名演奏だったと思う。
 帰り道、ひとり車を運転しながら、ずっと5番が鳴り続けていた。
今回の50回定期演奏会は本当に来てよかった。音楽を聴いて
こんなにいい気分になれるのなら、もっと聴きにきたいものだと
思う。とても満足な日曜日だった。
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by nokogirisou | 2008-10-19 23:16 | 音楽

鍵冨弦太郎のチャイコフスキー ヴァイオリンコンチェルト

 第50回東京交響楽団定期演奏会の話題のつづき。
二曲目はチャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルト二長調。
ソリストの鍵冨弦太郎が登場する。細身のはにかみやの鍵冨くん。
 序奏の間、まだ鍵冨くんは緊張しているおももちだったが、なめ
らかに出番が始まる。繊細な音色である。のびやかに主題を演奏
する。すっかりプロの顔になっている。前回のリサイタルのときよりも
ずっと成長したように感じる。7月のときはちょっと不安定な感じが
あった。まだまだ若いなという印象が強かった。今回、オケとの共演
という重圧をどのようにクリアするか最後まで目が離せない。
 カデンツァもなかなか見事だ。フルートがこの曲でこんなに
大事な役割だったとは今日初めて意識した。視覚と聴覚がいっしょ
になると本当にすばらしい。やはり生はよい。しかし、どきどきする。
劇的に第一楽章がおわると、観客はおもわず拍手してしまう。
 こちらの心配もよそに、すぐに二楽章の準備をする鍵冨くん。弱音器
をつけたのだろうか、ちょっと音色の違う音がする。ゆったりと歌うような
感じ。メランコリックな旋律がすてきだ。
 そして3楽章。軽快にスタートするが途中テンポがとってもゆっくりに
なったかと思うととても速くなり、変化があって楽しい。おなじみのメロディ
が出てきてうれしい。
 おわってほしくない。いつまでも聞いていたいと思ってしまうような演奏
だった。
 よかった。本当にすばらしいコンチェルトだった。ブラボーと盛大な拍手。
鍵冨くんは五回くらい出たり入ったりをくりかえしていた。
 
 ところで、今回の指揮者、ドミトリー・キタエンコ氏はなんと、1990年に
諏訪内晶子がチャイコフスキーコンクールで優勝したときモスクワ・フィルの
指揮をふった人である。キタエンコ氏はあたたかく鍵冨くんを見守っていたよう
に私には見えた。
 私は諏訪内晶子の優勝者記念コンサートのCDを持っている。
 諏訪内の音色は、鍵冨くんよりももっと強く線が太い感じがする。鍵冨くんの
今回の演奏はとても繊細で、細部の変化が美しい。諏訪内のつややかな
音色とは質が異なるように思った。
 ヴァイオンリンは、奏者によって本当に音も表現も異なる。このコンチェルトは
名曲だと思う。もう一度、さらに成長した鍵冨くんの演奏を聴いてみたいと思う。
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by nokogirisou | 2008-10-19 22:50 | 音楽

りゅーとぴあ開館10周年記念第50回東京交響楽団定期演奏会

 オール チャイコフスキープログラムであることと、ブァイオリンソロが
鍵冨弦太郎だったことに惹かれて、行くことにした。
 すでにS席A席D席が売り切れで、C席オルガン脇、オーケストラの背後
の座席をとった。ちょうどコントラバスの上あたりだった。なかなかよい席
だった。いつもは前からしか見たことのないオーケストラを背後上空から
観察できる。みんないろいろな椅子を使っている。楽譜にもいろいろな細工
がしていることがわかった。
 団員がぞくぞくステージにあがってくる。コンサートマスターの大谷康子
さんが登場すると、ひときわ大きい拍手がおきる。なんとも言えないオーラ
がる。黒い衣装にブルーがかった光沢があって、彼女は特別な存在に見える。
やがて指揮者のドミトリー・キタエンコが登場する。輝く白髪が美しい。
 プログラムは
 
 歌劇「エフゲニー・オネーギン」のポロネーズ
 ヴァイオリン協奏曲二長調 作品35
 交響曲第5番ホ短調 作品64

 「エフゲニー・オネーギン」ではまだコントラバス奏者が登場しない。
トランペットのファンファーレで始まる。いかにもポロネーズというリズム。
楽しい。指揮者がこっちを向いているのがうれしい。指先の動きがおもしろい。
 
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by nokogirisou | 2008-10-19 22:49 | 音楽

平行線

  話し合いで決着をつけられることは、めったにない。
それは国際会議の様子を見ていても明らかだし、政党間
の議論を見ていても、テレビの討論を見ていてもそう思う。
職場の会議は、すでに管理職に通った案の提示が主で、
ほとんど議論する会議にならないが、それぞれの部署で
の会議では、論争が話し合いによって終結などしない。
だから、「多数決」が導入されるのだろうけれど、このごろ
「多数決」はなじまないと称して、採決をとる場面は少なくなった。
 さて、今日も会議があった。私の職場では新しいことを
始めようという企画がなかなか通らない。それでも勇気を出して
あらたなプロジェクトを提案したのだが、反対に遭った。
 ただ、反対されることは予想していたが、その趣旨は納得でき
なかった。とにかく自分たちの負担が増えるからいやだ…という
単なるわがままとしかとれない発言だったからだ。それはおかし
いとどんなに力をこめて力説しても、どんなに理屈や正論を述べ
ても、先方が意見を変えることにはならなかった。むなしく時間が
流れるばかりである。
 平行線のまま、それそれが同じ立場で自分の論を言い合うこ
と1時間。他者を理解するとか、他者を説得するというのは本当
にむずかしいことだと思った。
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by nokogirisou | 2008-10-16 00:05 | 日々のいろいろ

バレリーナ森下洋子

 10月11日の新潟日報の文化欄に「バレリーナ森下愛子さん
12月で60歳」という記事が、掲載されていた。
 森下さんは、バレエとの運命的な出会い、環境、踊り続け
る強い意志に恵まれ、ここまでやってこられたという。彼女の
インタビューの言葉でとても印象に残ったのは

「続けてさえいえれば、必ずものにできた」という言葉と
「技術を磨くことは大切ですが、それだけではいけない。」
であった。
 どんなことも時間をかけれできないことはないという。努力ある
のみ。彼女自身決して器用ではなかったという。人にできて自分
にできないことを、時間をかけ練習して自分のものにしていった。
 また、単に技術だけでなく、人間の生き方、美しさ、優しさ、温か
い愛を高めてながらバレーを続けてきたという。 

 彼女の信念が平凡な一市民である私をとても勇気づけた
気がする。
 時間がかかってもよいのだ。やりたいと思っていたこと、
できるようになりたいと思っていることにひたすら努める。
そして、何より大きな器と深い人への愛を持つことが
自分の技、自分の生き方を高めることにつながるのだろう。
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by nokogirisou | 2008-10-12 11:39 | 日々のいろいろ

テルミニ駅

  ローマで泊まったホテルが、テルミニ駅のすぐそばだった。
テルミニとは温泉という意味らしいが、ホテルの地下にも浴場跡の
遺跡があった。このあたりは温泉やら浴場がたくさんあったところ
らしい。
 テルミニ駅はローマ最大の駅だ。国内外線の電車が停まる。地下鉄
もある。けれども東京駅や新宿駅に比べたらずっとすっきりしていて、わかり
やすい。それほど大きいという感じがしない。人であふれかえっているわけ
でもない。
 地下鉄の切符の買い方はシンプルだ。どこでも2ユーロでよい。入場
のときさえ切符を挿入すれば、出るときのチェックはない。便利なので何度か
利用した。なかなか座席に座ることはできないが、各国の観光客をマンウォッ
チングしているだけで飽きない。
 その他私が利用したのは、もっぱら地下のスーパーだ。
スーパーでサラダや果物、お総菜、デザートなどを購入した。
お総菜や清涼飲料水は、日本の方が断然種類が多い。イタリアの総菜は
パスタ料理や肉料理が中心だ。多くの家庭はスーパーで総菜を買うことは
せず、専門のデリや、バルのテイクアウトを利用するのだろう。しかしサラダ
は種類が多くて助かった。オリーブオイルと塩とビネガーがそれぞれ少量袋
に入ってついていて、好みでまぜて食べられた。清涼飲料水はファンタとコー
ラとスプライトが主流で、私が子どもの頃の飲み物のようだ。日本のように
さまざまなペットボトルの飲み物がひしめいていない。果物はいろいろあった
が日本より割高である。つい、さまざまな種類が入っているカットフルーツを
購入してしまう。葡萄、林檎、パイン、いちごが入っていて、なかなか美味。
 デザートコーナーのパンナコッタが安価でやすくてありがたかった。日本の
デザートプリンのような感覚で売っている。
 パスタの種類はさすがに多い。色も値段も形もさまざまだった。オリーブ
オイルやオリーブのピクルスなども多種ある。国によってスーパーの様子が
異なることにとても興味を持った。
 それから、テルミニ駅の地下の書店にも立ち寄った。日本の蔦屋書店のような
雰囲気。たくさんのペーパーバックが平積みになっている。文具も売っている。
来年のカレンダーや手帳がすでにたくさん並んでいた。
 駅だけでも十分楽しめる。
 
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by nokogirisou | 2008-10-10 23:28 | イタリア旅行

ローマの思い出2

 
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 ローマで圧巻だったのは、コロッセオだろう。一日目にツアーのみなさんと
外観を見学し、2日目には地下鉄に乗ってふたたびやってきて、今度は中に
入った。
 私がふと思ったのはエンデの『モモ』だった。たしか『モモ』はイタリアをイメ
ージした街が舞台だった。だからモモが住んでいるのは円形劇場の廃墟だった。
劇場に住むとはどういうことか、当時は想像できなかったのだが、今回コロッセオ
の中を歩いてみて納得できた。モモが住めそうな場所はいたるところにあった。
  とにかく大きい。5万人もの人が収容できる劇場である。何を見たかというと
戦いである。ここは闘技場だったので、猛獣と剣闘士が戦う様子を人々は興奮
しながら見たのである。劇場の内部を歩いていると、本当に当時の様子を想像
できそうな気がしてくる。いつまでいても飽きない見どころであった。
 
  それから、パラティーノの丘の脇、チルコ・マッシモの横を歩いたことも印象
に深い。目指したのは「真実の口」のあるサンタ・マリア・イン・コスメディン寺院
であったが、思わず目を奪われた。なかなか到着しなくて、近くを歩いていた
アベックに道を尋ねたところ「あれがチルコ・マッシモだよ」と教えてもらって
気付いたのだが。
 真実の口は想像通りの行列だったが、思ったより流れが速い。真実の口に
手をつっこむよりも、サンタ・マリア・イン・コスメディン寺院を見学できたことが
感激だった。なかなか趣のあるj寺院であった。
 それからテヴェレ川沿いを歩いたのだがなかなか美しい河辺だった。フィレンツェ
のアルノ川もすてきな川だったが、こちらもまた自然たっぷり和む。

 ローマは道に迷いながら、あやしい英語で人にあれこれ道を尋ねながら
歩いたことだけが忘れられない。みんな旅人にとても親切で本当にありがたかった。
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by nokogirisou | 2008-10-07 23:56 | イタリア旅行