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宮本笑里dream

 ユニクロの入り口に宮本笑里のポスターが貼ってあってどっきりした。
最近、テレビのコマーシャルでも宮本笑里の演奏をよく聴く。よく見る。
私が彼女を意識したのは、「のだめ」のエンディングテーマと「天地人」
の最後の番組とゆかりのある土地の紹介時に流れるテーマ曲だ。
 気がつくと、あちこちに彼女の演奏があふれていた。
 ソニーのコマーシャルの曲がとても気になった。
 ヤマザキナビスコ「コーンチップ」のコマーシャルも心地よい。
 21日発売の「dream」を購入し、毎日聴いている。伸びやかな旋律
が心地よい。いい音だと思った。
 聴きたい曲がもりだくさんで、ぜいたくでおしゃれななCDである。

  次々にヴァイオリニストが生まれる。
  ルックスの大切だと思う。
  彼女は宮本文昭の二女なのだそうだ。なるほど。
 
 
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by nokogirisou | 2009-10-28 00:30 | 音楽

新型インフルエンザと風邪

 職場では新型インフルエンザが猛威をふるっている。ふつうの
風邪もはやっている。
 しばらく前から職場でインフルエンザ対策でマスクを着用してい
たのだが、ちょっとした油断から風邪をひいてしまった。免疫力が
落ちたなと思った瞬間に襲われた。熱が出ないのでインフルでは
ないらしい。

 いつものように風邪が進行している。
  
 寒気→のどの痛み→全身のだるさ→肩こり・腰の痛み→せき
 →せき→せき

 この過程をすべて経ないと治らないのだ。一晩で治ってしまうと
いうことはない。ゆるゆると治っていく。
 
 今日は本当はテニスの講習会だったのだが、涙をのんでがまん
した。せっかくのチャンスだったのでとても楽しみにしていたのだが
身体が動かない。ふらふらする。

  風邪はすべてをリセットしてしまう。これまでのトレーニングで培
った体力。やってきた仕事のだんどり。欠席によって人間関係も
ぎくしゃくする。
 
 
  
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by nokogirisou | 2009-10-25 21:29 | 日々のいろいろ

黒井健 講演会

 絵本作家、黒井健さんが新潟市のほんぽーとで講演をされた。参加申込み者
多数の中、なんとか抽選にあたって、聞きに行ってきた。
 これまで新潟や豊栄で開かれた黒井さんの講演会はほとんど聞いてきたし、
新潟での個展はすべて足を運んできた。毎回何かあらたな発見があり、私をひき
つけてきた。
 これまで、大学受験から、上京までの紆余曲折や、学研入社から絵描きになるま
でのご苦労は何度か聞いたが、今回印象に残ったのは、絵本作家となってからの
黒井さん自身の迷いや覚悟のお話だった。
 黒井さんは長い間「自分は絵本に向いていないのではないか」という迷いの中に
いたという。またシリーズものを描き続けるマンネリのつらさを味わい、「わかりやすく、
かわいい絵本」に対する懐疑に苦悩した。
 『ごんぎつね』が黒井さんにとって記念碑的な作品になったことの意味を、改めて
感じることができた。

また、今回ひとつの作品を完成させるために、何度も原稿を読み込み、膨大な取材
を重ね、何枚ものラフスケッチ、綿密な計画と準備を経て、長い時間とエネルギーを
費やしていることに感銘を受けた。また原稿を受け取ってから、描けないないこともたび
たびあり、何年間も放っておいて熟成を待つことがある話も印象深かった。

 黒井さんの新美南吉と宮澤賢治の理解は興味深く、私もこの2人の作家について
もっと知りたい、もっと調べたいという欲求に駆られた。この2人だけでない。黒井さんの
現役の作家対する観察と研究もなかなか鋭いものだった。

 黒井さんは今回「作品は、私はこう読ませてもらったという感想文のようなものです」
と言われていた。これは忘れられない言葉となった。自分の「読み」を表現する人の
決意のようなものを私は感じた。しかも「読む」ときに「理解しよう」とするのでなく「感じる」
ことを重視する姿勢に共感を得る。作品を繰り返し読み、作家を研究し、関係する場所を
取材しなければ、読者を真に満足させる作品はできあがらないのだ。こういうプロ魂に
私は魅力を感じる。
 
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by nokogirisou | 2009-10-18 22:57 | アート

秋の新宿「古月」

 またまた古月に行ってきた。秋の味覚を楽しみに。
春は桜、夏は、さるすべり、今日は紅葉には早く、緑の
木々がいきいきとしていた。背の高いホンダさんがにこやかに
迎えてくれる。料理人のマエタさんが厨房で中華鍋を握って
明るい声で声をかけてくれる。
 金曜の夜で予約がいっぱいなのに、私のような一人客のため
にちゃんと席を用意してくれて感謝である。
 
前菜は豪華なもりあわせだった。
 ・広東風ローストダック
 ・釜焼きチャーシュー
 ・自家製の腸詰
 ・みょうがの酢漬け
 ・サンマの薫製
 ・ホタテ
 どれも絶妙な美味でバランスよい。美しい盛り合わせだった。
  次にいためもの。私のリクエストでイカである。
 花が咲いたようなイカの上にあざやかなズッキーニ。
 宝石のようなぎんなんにむかご。
 中国料理のイメージを超越するいためものだ。一気に
 食べてしまう。

 次の登場したのが、特製麻婆豆腐とご飯。
 麻婆豆腐は豆腐からしてちょっとちがう。辛すぎず、しょっぱすぎず
 めりはりのある味。
 ご飯にかけて食べるとまた絶品。本当に気取らず「うまい!」と
 叫びたい。 ふだん食べている麻婆豆腐とは別物だ。
 ご飯はそれだけでもおいしい。

 そして養生スープ。骨付き肉と、青梗菜がたっぷり入っていい
 味を出している。まろやかで、身体にやさしくしみわたっていく。
 これがまた麻婆豆腐にぴったり合う。薬膳料理なのだそうだ。
 
 デザートは、梨とキンモクセイのゼリー。
 梨はうらごしされてなめらかだ。キンモクセイの花はいい香りがする。
 秋をあじわっている充実感があった。

 最後にあたたかい烏龍茶。
 いっしょに出てきた、落花生の塩ゆでが絶品だった。ゆで加減が
 ちぃうどいい。
 逝った落花生の比ではない。これはお酒のつまみに最高だろう。
 マエタさんの実家から送られた落花生だそうだ。
 ほんとうにおどろく食感。

 満足満足。本当に充実したお食事だった。帰りに車の運転をしなければ
ならないためにお酒が飲めなかったのが残念だが、お料理を堪能した
満足感がある。
 食事が人を幸せにするということは確かにあると実感する。
 「古月」のファンである。
 マエタさんありがとう!
 

 
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by nokogirisou | 2009-10-17 14:47 | 日々のいろいろ

石居麻耶「海の歌」

  YOKOI FINE ARTで10月9日から24日まで石居麻耶さんの
「海の歌」展をやっている。BUNNKAMURAでの「見果てぬ夢」から
約1年。麻耶さんの海に会いに行ってきた。
  YOKOI FINE ART は桜田通りに面した1階がampmの木内
第2ビルの6階にある。日比谷線神谷町駅から、東京タワーを眺めな
がら、心の準備をしながら歩く。ギャラリーに行くというのはけっこう
緊張することである。
 エレベータを降りると、麻耶さんの作品が見えた。ちょうどギャラリー
にお客は誰もいなかった。91センチ×91センチの正方形の板に描か
れた海。波、しぶき、泡。音が聞こえてきそうなリアリズムの海。だが
そこには麻耶さんだけの海の世界がある。海を描いているようで、実
はここに描かれているのは光だ。光を浴びた水の色がすばらしい。
 そこに久しぶりにお会いした麻耶さんが出迎えてくれる。とてもうれ
しい。丁寧に作品の解説をしてくださる。

 麻耶さんは少女のような雰囲気なのだが、語る言葉のはしばしから、
芸術家としてのプロの意識を感じた。

 どこの海を描こうかだいぶ迷ったそうだが、光の関係、波の強さ、色
から内房の海を選んだそうだ。1作品のためにとった写真は1000枚
以上。ちょうどいい光の具合が午後2時すぎだということがわかったそ
うだ。おだやかな、まったりとした海の感じが味わえる時間は実はそう
長くない。
  「招待状」という作品に惹かれた。「高波のあとの穏やかな波間に
きらめくいくつもの輝きは迷い人を招き寄せる手紙のようだった」という
リーフレットの言葉が詩のようだった。
 作品に近寄ると、けっこうでこぼこで、絵の具が立体的に重ねられて
いることがわかる。近づいて見たときと、離れて見たときでは、まったく
作品が違って見えた。
 今回は、モチーフを決めてたくさんの作品を描かれていたのが、ある
程度のところまでは並行して取り組むそうだ。それからは、個々の作品
に挑んでいくのだが、完成前にはしばらく作品を放っておくと言っていた。
熟成を待つかのようだ。これはアートに限らない。詩も小説も、あるいは
ほかの作品も完成前には寝かせておく必要がある。最後は客観的な目
で自分の作品を見つめなければならないのだろう。
 興味深かったのが、ギャラリーのスタッフとの関係である。作品のモチ
ーフや描き方、取材の方法などアドバイスをするのがギャラリーの方な
のだそうだ。まるで小説家と編集者のような関係だと思った。

 奥の方におどろくべき大作が待っていた。
 なんと下から見上げた東京タワー。この角度は大迫力だった。
海、海、海、海の後の東京タワーがとても新鮮で、ずっと見ていたかった。
 
 途中で、麻耶さんの芸大の先輩の方が来られたが、二人の話がとても
おもしろかった。画材や、額縁などの専門用語もとびかい、とまらない。
作品を描く作業は、孤独で、自分の世界を強く持っていないと描き続けら
れないように感じた。
 
 ひとりの画家を追いかけるという経験はこれまであまりないのだが、
麻耶さんの仕事を見続けることが、私の中の大事な喜びになっている。
自分の世界を守りながら、次々と新しいことに挑戦していく姿に私は何か
すがすがしい青春を感じる。
 
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by nokogirisou | 2009-10-16 23:09 | アート

いきものがかり「YELL」

 ずっと耳から離れない。ずっと繰り返し、聞いて、ずっと自分の
中でくりかえしている。私はこの歌が好きだ。
 中学校の卒業式を思い出す。中学生の頃ってどうしてあんなに
敏感で、不安定で、夢が多かったのだろう?
 
 「サヨナラは悲しいことばじゃない それぞれの夢へと 僕らを繋ぐYELL」
というメッセージは決して新鮮ではないけれど、みんなみんなずっと
思っていた、伝えつづけてきたメッセージだろう。

 私が好きなのは
 「゛ほんとうの自分゛をだれかの台詞(ことば)で繕うことに逃げて迷って
 ありのままの弱さと 向き合う強さをつかみ 僕ら 初めて 明日へと 駆ける」
 というところか。

 「自分さがし」なんて子どもっぽい、愚かしいという思うのは、私たちが年を
とった証拠でもある。
たしかにどこを探したって「ほんとう」の自分はない。いまある現実の自分しか
ないのだ。
けれども思春期には、「今の自分はほんとうの自分でない」ような、もどかしさと、
居心地の悪さを感じるものなのだ。だからもがくし、泣きたくなるし、かなしくなる。

 いきものがかりのこの歌は、そういう中学生の思いをよく歌っていると私は思う。
またこのメロディがたまらなくぐっとくるのだ。つぼにはまる。
 これがNHK音楽コンクール課題曲というのもちょっとなんだが、合唱バージョン
も聞いてみたいのが本音だ。
 
 青春か…遠い目になる。
 
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by nokogirisou | 2009-10-13 14:47 | 音楽

ときどきもどっている「正常」

 先日、母のまだらぼけ状況を書いたが、母はとても正常になるときが
あるから不思議だ。とてもしっかり状況を判断したり、しっかりした記憶を
示すときがある。
 ここしばらく、母はとてもまともである。
 母とちゃんとした話ができる。これは本当にありがたいことである。
 しかし、こういうときに限って、今度は父が横暴になって困る。
父が母を感情にまかせて怒鳴るのである。
 まったくうまくいかないものだ。
 父を正常にし、おだやかにするのは母の異常であり、
 母の正常が、父を異常にするとはなんとも皮肉なこと
である。
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by nokogirisou | 2009-10-11 15:33 | 日々のいろいろ

平行線

  私はつい熱くなってしまう傾向があるのだが、どんなに言葉を
つくし、丁寧に、熱く語っても、相手に思いが伝われないと思うこと
が多い。熱くなりすぎるから、まずいのだろうと思うが、それにして
も、理解しあえない問題は、どんなに話し合っても理解できない。
  今日は職場で、年上の同僚と意見が対立してしまった。
  すでに会議も通り、同じ部署内で、すすめられていたプロジェクト
にクレームがつけられたのだ。「提案のタイミングが悪い」、「年度当初に
なぜ提案しなかったのか」「手続き上問題がある」「会議は通ったかもし
れないが、私はその会議にいなかった。これは問題のあるプロジェクトだ。
納得できない」と同僚に言われた。
 しかし、年度当初には予想できない事態が起きたし、状況が変化したの
で最善を尽くすために考えたことだ。確かに参加者の少ない会議であった
が、ちゃんと手続きをして通った提案であることには違いない。私はこの
プロジェクトの有効性と、手続きの正当性を訴えたが、ちっとも同僚を
納得させることができなかった。

  それぞれの言い分が平行に積み上げられていくばかりで混じり
合うことはなかった。最後は「どうかお願いします。これでやらせて
ください」と私が頭をさげて、やることに決まった。ちょっと強引だった
かもしれないが、そうでもしないとどうにもならなかった。
 いつもこういう言い合いの後、くちびるがさみしい。なんだか悪者
になった気分になる。
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by nokogirisou | 2009-10-08 22:32 | 日々のいろいろ

認知症とどうつきあっていくか

 母は完璧に掃除をする。「家がきれいですね」と言われるのが
自慢の人だ。毎日毎日掃除をすることには本当に頭が下がる。
 その母のもの忘れがひどくなった。朝言ったことをすぐに忘れる。
ゴミの分別ができない。衣服の整理ができない。一人で料理が
できない。
 しかし、母はプライドが高い。「ゴミの捨て方がちがうよ」「水が
だしっぱなしだよ」などと注意すると「そんなことない」と言い張る。
絶対自分の物忘れや失敗を認めない。
 先日は、もう必要のない子どもを服を買ってきた。かなり高価な
ものだが、なにせ小さすぎる。周りにあげるべき子どももいない。
「こんな服だれも着れないよ。」と言って、私は店に返しにいったの
だが、それが母のプライドをいたく傷つけたらしい。その夜、いじめ
られる夢を見たとのことで、その後眠れなくなり、大騒ぎだった。
 とにかく母を責めたり、叱ったりしてはいけないと父がいう。怒ると
反発し、その怒りが、檻のように心にたまるのだそうだ。私は母を
病院につれていった方がいいと思うのだが、父は病院に行っても
症状はかわらないといって聞き入れない。とにかく家族があたたかく
見守り、優しくすることが大事なのだといいはる。
 とにかく母の物忘れには、腹がたつことが多いのだが、とにかく
怒らないようにしなければと思う。私は母にどうしても意地悪になって
しまう。どうしてだろうか?私の中に母を愛せないという思いがあるのだ。
子ども時代の支配と、管理がいまだに許せない思いとしてある。この人
には理解してもらえなかったという思いが私にある。母にもあるのだろう。
一生分かり合えないのだろうが、いまさら、昔のことは持ち出さない。母
に言ったところで無駄だ。
 昔のことはおいておいて、もう少し、優しく接しなければだめだとわかっ
ている。怒ってはだめだ。
 母との関わり合い方を考えなければならないと思う。気が重いが。
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by nokogirisou | 2009-10-05 22:52 | 日々のいろいろ