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アニマシオンの検証とこれからを考える会

 ほんぽーと新潟市中央図書館を会場に、この一年のアニマシオン
の実践を振り返る会を行った。
 私も関わっているボランティア「きいちごの会アニマシオン部」はこの
1年、万代長嶺小学校などの公立小学校でアニマシオンの実践を
行ってきた。実践した作戦は増え、予読本もヴァラエティに富んで
きた。会員のみなさんの勉強熱心さと熱意には頭が下がる。
 今回は、それらの様子を反省点、疑問点を発表しそれに対して
新潟大学の足立幸子先生から専門的、理論的なコメントやアドバイス
をいただいた。
 やはり『読書へのアニマシオン75の作戦』を読んだだけでは
その作戦の中身がわからない。けっこう誤解して作戦を行ってしまう
ことがある。
 『いる?いない?』の作戦は、厚い本で、登場人物のキャラが
立っている作品に向いているということを初めて知る。
本とねらいと子どもたちの実態を考えて、アニマシオンを作戦を
考えていく必要があると改めて思った。
 足立先生のお話は学習の理論が背景にあって大変説得力があった。
国語教育の現場もよくご存じである。
 多少の経験とカンしかない私は、本当に目から鱗であった。
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by nokogirisou | 2011-02-24 00:18 | 本と図書館

正義の授業

たけしの世界の天才が日本を救うの中で、マイケル・サンデル教授が授業を行っていた。
 長い番組の一部をたまたま見たら、サンデル教授が出ていて除いただけなのだが
 印象に残った。
 八百長はやってよいか悪いか→政権公約は守らなくてはいけないか→
 家族のカンニングを告発するかしないか→たけしの映画がおもしろくなかった時
 に「おもしろかったか?」 と尋ねられて、どう答えるか。
 次々と発問されていく。
 
 参加者が自分の問題として考えるような発問の仕方がうまいと思った。
 それぞれが、考えを述べ、賛成と反対の姿勢を明らかにさせられる。
 発問から発問へとうつりながら、ちゃんと問題のところに戻ってくる。
 
 そして哲学者カントの考え方を引用しながら、サンデル自身がモデルを演じて
みせていた。
  なるほど。問答法である。論述の特徴は共通善を強調するところだという。
 サンデルの手法を批判する者もいるが、問題を投げかけ、各自に考えさせ、
対話によって理解を深めるという手法は、学び合いの基本ではないかと思った。

  
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by nokogirisou | 2011-02-21 22:57 | 日々のいろいろ

『くまっていいにおい』ゆもとかずみ文ほりかわりまこ絵

 
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徳間書店から出されている児童書なのだが、大人のための
本ではないかと、Kさんから紹介された。
 森のおくに、はちみつ入りのコーヒーを飲んだり、レコードを
聞いたりして静かにくらしている「くま」がいる。
 その「くま」のところに、森のいろいろな動物たちが哀しみや苦
しみを持って「くま」のところに訪ねてくる。「くま」の毛に顔を埋めて
悩みを語り、泣いて「くまっていいにおい」と言って帰っていく。
 ところが、毎日毎日動物たちになやみを聞いているうちに「くま」は
疲れてしまった。「こんなにおい、なくなっちゃえばいいんだ」と思う。
 そこに登場するのが「きつね」。みんなが慕う「くま」に嫉妬して
「くま」のいいにおいを消す薬を発明する。
 「くま」はその薬をのみ「くまのにおいありません」と木の札をぶら
さげて動物たちの話を聞かなくなる。思う存分本を読んでレコード
を聞いて自分の時間をすごす。
 しかしやがて、誰とも会わないうちに「くま」はすっかり元気を失い
病気になってしまう。この弱った「くま」を助けてくれたのはなんと
「くま」に嫉妬していた「きつね」だった。「くま」と「きつね」は後悔しあい
不思議な友情に結ばる。
 やがて、ふたたびくまのところに動物たちが訪ねてくるようになる。
消えたはずの「くま」のにおいも戻ってくる。

 この物語の中で、子どもの本らしくない不思議なところは、「くま」
と「きつね」の友情と「くま」が回復していく過程だ。
 くまはまた、前と同じようにみんなが悩みを持って頼ってきたときに
今度は叫ぶことができる。
「みんないいかげんにしてよ」
「ちょっとひどいよ。ぼくはまだ病気なんだよ!」

 これは以前の「くま」が言えなかった言葉だ。
いい人(くま?)であろうとして、疲れてしまった「くま」。

 人の悩みを聞いて、人のために尽くして、疲れてしまう人間は多い。
 どうやって回復していくか。どうやって自然体で生きていけるか。
 どうすれば他者と疲れることなく関わっていけるのか。
 
 擬人化されているが、とても人間っぽいお話である。
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by nokogirisou | 2011-02-19 20:05 | 本と図書館

理不尽なことごと

 この一週間は職場で理不尽なことの連続だった。
 突然切れたり、突然投げ出したり、突然いなくなったり
 それって大人のすることだろうか?
有り得ないことが多すぎる。周りの人たちはだまって
受け入れるしかないのだろうか?何もなかったかのように
にふるまう。みんなさりげないが、実は困っている。
 その人とすれ違ったときに、自分の顔がひきつってしまう
のを自覚した。
 その人はなぜ私に対して怒っているのだろうか?
 何もしゃべっていない。何の接点もないのに。
 理不尽なこと、わけもわからず怒りを買うことがある。 

 職場で疲れたところに家族がインフルエンザなった。
 予防接種したというのに高熱!orz…
 あれやこれやで午前の仕事を休まねばならなくなった。
  
 傷ついたときに、すっかり元気を失ったときに
どうやって自分を建て直すか。
 恥ずかしながら白状するとやっぱりバッハの音楽だった。
 それからKさんが貸してくれた本『くまっていいにおい』
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by nokogirisou | 2011-02-18 19:23 | 日々のいろいろ

「49日のレシピ」 NHKドラマ

偶然NHKドラマ「49日のレシピ」を見る。
 伊東四郎と和久井映見の存在感、演技のうまさがさすがだ。

 すっかり、このドラマの物語に引き込まれて涙を流してしまう。
血のつながらない母と娘。娘は母の名前の乙美の乙と母をくっつけて
「乙母(おっか」と呼ぶ。母の死まで心を完全に開けなかったようだ。
 そして、今彼女は、夫の不倫に傷つき、家に戻ってきている。
 父は、妻の死後、なかなか一人暮らしになれずにいる。
 娘や妻に対してすぐに怒鳴って「お前の好きにしろ」というタイプの
 昔の父だ。しかし、実は妻と娘に深い愛情を持つ。

 この母の死後、母の教え子の井本の登場で、父と娘は「くらしのレシピ」
の存在を知る。
 母の残した大切な「生活」を彼等はとりもどしていく。

 なんだかわからないが、涙がとまらない。 
 失ってから母のありがたみを知るのだろうか。それでは遅すぎると
 私はわかっている。母を大切にしなければと、自分の生活に結びつけて
しまっている。
 家族というのは、本当にどうしようもないものだ。
 
 
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by nokogirisou | 2011-02-15 23:55 | 日々のいろいろ

バレンタインデー

 
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 日本のバレンタインデーにはチョコレートがつきものだ。
カカオ高騰のおり、若い女性たちは、昨日手作りチョコレート
作りに励んでいたことだろう。
 製菓用チョコレートとラッピング用品売り場には若い
女の子たちがあふれていた。
 そういうイベントからは縁遠くなってしまったが、愛は
丁寧に届けたいと思う。ざわざわと騒ぎに乗って終わって
しまうのではなく。

 それはさておき、私はチョコレートが大好きである。
 今年、初めてゴティバのチョコレートを買ってみた。
一粒数百円もするチョコレートなど信じられないのだが、
買って食べてみて、なるほどと思った。一粒の満足度が
高いのだ。香り、食感、味わい、甘み、ゆっくり楽しめる。
 同じチョコレートでも、こんなに違うものかと思う。
 たかがチョコレート、されどチョコレート。
 ちょっとした贅沢。一年に一度くらいよいか。
 
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by nokogirisou | 2011-02-14 21:16 | 日々のいろいろ

石丸由佳オルガンリサイタル

 2月13日りゅーとぴあで行われた石丸由佳オルガンリサイタル
に行ってきた。
 オルガンはさまざまな席で聴いた方がおもしろいというホールの
はからいで、休憩時に多くの人が座席を移動した。
 前半四曲は2010年シャルトル国際音楽コンクールの本選課題
曲である。前半は一階の中央の席で聴いた。

  J.S バッハ トッカータ、アダージョとフーガハ長調BWV564
  J.アラン 幻想曲第2番
  J.ギュー トッカータ 作品9
  Ch. M ヴィドール オルガン交響曲第6番よりト短調第一楽章

 どれも本格的なオルガン曲で、手鍵盤、足鍵盤を使って全身で
演奏しているのがよくわかった。頭上をオルガンの音、風が降りて
くる感じだ。
 アランの曲は、とても不思議な現代曲のような響きで意表をつく。
 ギャン・ギューの曲がとても心地よく美しかった。

 休憩を挟んで、私は2階の脇席に移った。オルガンに最も近い席
である。お辞儀をする石丸さんの姿や弾いている背中がよく見えた。
音は下で聴くよりもストレートな感じ。小柄な石丸さんがオルガンを
自由自在に操っているように見えた。後半は照明の芸も細かく楽し
めるプログラムだった。

 J.Sバッハ 前奏曲とフーガ イ短調 BWV 543
 後藤丹 故郷による幻想曲
 後藤丹 さくら幻想曲
 C.フランク 祈り Op.20
 F.メンデルスゾーン オラトリオ 《聖パウロ》より序曲 
                      W.T. ベスト編曲

 後半はだいぶリラックスして、楽しんで弾いているように感じ
られた。こちらも肩の力をぬいて、オルガンを観察しながら聴くことが
できた。空気、風を感じた。
 彼女は初めてオルガン演奏を聴いたときに
「いくつもの旋律が、何色もの音色が、重なって振ってくるようで、
まさか一人で演奏しているとは思えない。これぞ、好きな合奏
を、一人でもできる楽器なかもしれない」
 と思ったそうだが、私もまさにそう思った。とても一人で演奏して
いるとは思えない。とても難しい楽器だと私は思った。聴く方もまた
旋律が重なっていて難しい。

 演奏後、マイクを持って石丸さんは挨拶をしたが、それがまた
とてもすてきでしっかりしていた。たいしたものだと感心する。
 最後に彼女が11年前にりゅーとぴあのオルガン研修講座で
発表したというバッハの27のコラールの中の一曲をアンコール
演奏してくれたが、私がこれが一番心に残った。

 
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by nokogirisou | 2011-02-13 21:21 | 音楽

久しぶりの古町

  町を歩く時間がなかった。職場と家と、近所のスーパーとの
往復の日々。連休の前半二日も仕事で、すっかり疲れ切って
しまった。今日は、完全休日にした。
 こういう日は水槽の掃除をしたくなる。いつのまにかカナダ藻が
林のように増えていた。日本淡水魚は元気である。しずかに泳い
でいる。たわしを入れると少しジタバタするところがかわいい。

 それから、思いきって古町に行った。町はちょうど、新潟食の陣
でたくさんの屋台と、行列でにぎわっていた。ちょっとほっとした。
人の少ない古町ほど哀しいものはない。人気は佐渡ブリカツ丼と、
糸魚川のブラック焼きそばのようだった。新潟調理師専門学校の
生徒さんががんばっていた。
 ひさしぶりに歩いて、街中のお店が変わっていることに驚いた。
かつての映画館が、マンガアニメーションの専門学校の実習館
になっていた。鞄屋がコンビニになっていた。その他閉店したお店
がたくさん。もちろんなつかしい書店や喫茶店やパン屋など残って
いた。時間はいろいろなものを変えていく。

 そして、上古町を歩く。ここは、音楽が流れていた。道がきれいに
なっている。おもしろい店がたくさん並ぶが、人通りは少ない。
なんとかなってほしいと思う。町の活性化とはなんだろう?
とにかく住む人が忙しすぎてはぜったいに活性化しない。
住民が、楽しんだり、おもしろがったりする時間とお金のゆとりが
ないと町の活性化などありえないと私は思う。
 
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by nokogirisou | 2011-02-13 13:22 | 日々のいろいろ

ラインホールド・ニーパーの祈り

 以前、山崎直子の『なんとかなるさ!』を紹介した記事の中で
ラインホールド・ニーパーの言葉を引用した。

God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed, courage to change the things that should be changed, and the wisdom to distinguish the one from the other.

 そのことについて、ある方から手紙をいただいた。

 あなたにとって「変えることのできるもの」とは何なのでしょう。
そしてさらに、「それを変えるだけの勇気」と一体どのようなもの
なのですか?そういう勇気とは神から与えられるものなんですか?
それを神が与えてくれることを本気で願っているのですか?
 中略
「変えることのできるもの」「変えることのできないもの」とあります
が、自分のできることことと自分のできないこともわからないん
ですか?
 
 この手紙に私は、なんと答えたらよいのだろうか。
 なんにも答えることができない。
 
 この言葉はニーパーの祈りの言葉であって、私の言葉
でない。また私は、キリスト教を信仰している者ではない。

 その上で、やはり私は、言い古された言葉だが、こう思っている。
 自分と未来は変えられる。
 人と過去は変えられない。

 自分自身を変える勇気は、なかなかわいてこない。湧いてきても
持続できない。
 変えることができるものとできないもの。頭ではわかっているけれど
も、実際には行動できないことがある。またとんでもない思い違いや誤
解をしていることも多い。
だからじたばたする。覚悟を決めて事実を受け入れるには時間が必要
なことがある。
 祈りとは、そういう愚かな自分、無力な自分、結局何もわかっていない
自分を認めることだと私は思う。そして、今よりましな自分になりたいか
ら、祈るのだと思う。
 
 私が山崎直子が引用したこの言葉に立ち止まったのは、個人的な
体験や思いと重なったからである。そしてこの言葉によって、受け入れ
ようという覚悟ができたことに感謝したのだ。それだけだ。
 
 
 
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by nokogirisou | 2011-02-07 22:46 | 本と図書館

『日日是好日』森下典子

 友人から送ってもらって、いつか読もうと積んでおいた本。
急に読みたくなって一気に読んだ。栞がいらなかった。
 
 「日日是好日」は「にちにちこれこうじつ」と読む。
毎日がよい日という意味だ。副題が「『お茶』が教えてくれた
15のしあわせ」である。

 世の中には「すぐわかるもの」と「すぐにはわからないもの」
があるという。私たちはすぐにわかることをわらろうと躍起に
なっているけれども、すぐにわかないことを噛みしめながら
生きていくのが人生なのだろうと思う。
 「人は時間の流れの中で目を開き、自分の成長を折々に発見
していくのだ」とまえがきにある。
 これは、25年以上お茶を続けてきた森下さんの人生論な
のかもしれない。

 一章ごとに教えがエピソードとともに書かれているのだが
馴染み深かったのが「「頭で考えようとしないこと」「たくさんの
『本物』を見るということ」「長い目で今を生きるということ」
だ。
 「頭で考えるな」つまり、理屈でない。身体で覚えろという
ことだ。父の口癖を思い出す。「理屈でない。生活だ」だ。
考えたり、頭で覚えたりするのでなく一回でも多く稽古する
べきなのだという。
 「たくさんの『本物』を見よ」とは私の恩師の教えである。
「少量でよいから本物を味わえ」といつも言っていた。世の中
はまがいものや、偽物、安易な代替品で満ちている。本物を
見抜き、それを選ぶ力をつけよと言われた。
お茶で用いる道具もじくも花も、茶事も茶会も、「本物」に
触れることが一番の学びである。
 「長い目で今を生きるということ」というのは、私が迷ったとき
に自分に言い聞かせている台詞である。結果を急いではいけ
ない。目の前の季節の中を丁寧に生きることを選びたい。
 
 お茶の教えを日常に生かしたいと思う。
 季節を感じ、背筋を伸ばし、立ち居振る舞いを自然に美しく
したい。そして時の流れのままに、ゆっくりでよいので成長して
いけたら…。
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by nokogirisou | 2011-02-06 19:20 | 本と図書館