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アクティブラーニングとタブレットと言語技術

 今日は国語の研究会があった。
いろいろな情報が一気に頭に入ってきて少し
混乱している。
 アクティブラーニングという言葉がとびかった。
「グループ学習や討議、発表という活動を伴うもの
だけでなく、本来生徒個々の頭の中をアクティブに
するものだ」という説明があったが、やはり、活動
の方に目がいく。実践発表も学習方法、授業形態を
中心にした発表になる。
 もちろん、みなさん、熱心に勉強され、授業を組
み立て、真摯に実践されていてすばらしい。
 けれども、授業は手法だけではないのではないか
という思いがよぎる。授業の目標があって教師の
抑制のきいた働きかけと、生徒の意欲をくすぐる
教材があって、生徒の主体的な活動がある。そして
次の学習につながる有効な評価があるという一連の
日常的な学びを私は大事にしたいし、それを深め
たい。
 タブレットや電子黒板、その他IT機器を使った
授業やテストも試みられている。ツールとして
IT機器は有効だと思う。使い方しだいでいい授業
になると思う。ツール使用は授業の目的ではない。
私は基本的に「国語」というのは実技教科だと
考えている。デジタルできれいなテクストや資料
を見ることができても、それで理解が進むとは
思えない。自分で手を動かし、頭を動かし、読ん
で書いてしゃべって聞いてという活動を繰り返さ
なければ、身につかない。本当の力にはならない
と考える。わかったような気にさせるのではなく、
自分でできるという自信をもたせるような授業を
めざしたいと思った。
 講演では、「つくば言語技術教育研究所」の
三森ゆりか先生のお話を聞いた。日本の国語教育
の問題点を指摘された。10年ほど前にも三森先
生のお話を伺って同じような指摘をうけ、刺激を
受けたが、改めて日本の国語教育が未だに変わっ
ていないこと、学習指導要領もあまり変わってい
ないことに気づき愕然とする。もちろん言語技術
を教える必要があるといわれ続けている。論理的
思考の必要も言われ続けている。けれども現場の
国語教育は、あまり変わっていない。もちろん高
校では、文学作品の登場人物の心情を読み取る読
解の授業ばかりしているわけでない。教員が一方
的に自分の解釈を語るような授業もほとんどない。
けれども言語技術が体系的に示されたり、カリキ
ュラム化されたりする動きがあると聞いたことが
ない。 
 論理的思考力の必要性は感じている。しかし、
具体的に論理的思考力をどうつけていったらよい
のかは手探りだ。問答ゲームをしたり、論理の型
を示して練習したりすることがあるが、結局は個
別の添削指導や生徒との対話の中で指導するのが
論理的思考力を育てる一番効果的な方法ではない
かと感じている。

 
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by nokogirisou | 2015-10-30 00:04 | 日々のいろいろ

鍵冨弦太郎 Presents室内楽の調べ

10月29日りゅーとぴあ新潟市市民芸術文化会館能楽堂
で行われたレスパス弦楽四重奏団の演奏会を聴きにいっ
てきた。多国籍の作曲家の弦楽四重奏曲を楽しめた。

 第一部
グラズノフ:5つのノヴェレッテ作品15より
     「スペイン風」
モーツァルト:弦楽四重奏曲第18番イ長調K 464

 第二部
ハイドン:弦楽四重奏曲76番 ニ短調 
     作品76-2「五度」
ピアソラ:オブリビオン エスコラッソ

 レスパスとはフランス語で「空間」を意味する
という。
 今日は、第二部がすばらしかった。第一部のときと
演奏者たちの表情が違った。鍵冨さんが「五度」の
説明をしてくれて、この曲への興味が一気に増した。
実際に2本のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの絡み
合いが織物のようにすてきだった。
 そして、ピアソラの演奏で4人の息がさらにぴった
り合った。ピアソラの音楽の懐の深さを感じた。
「オブリビアン」の哀愁は魅力的だった。まさに私
の好きな曲だった。
「エスコラッソ」は快活なのだが、これもまたいか
にもピアソラ的で、ずっと聞いていたい心地よさ。
 楽しい演奏会だった。
 
 レスパス弦楽四重奏団の演奏は、8月7日に角田
コミュニティ多目的ホールで行われたときも聴きに
いった。
 そのときはモーツァルトの弦楽四重奏曲18番
イ長調とラヴェルの弦楽四重奏曲ヘ長調の演奏だった。
ラヴェルの弦楽四重奏曲がとても新鮮で、ピチカート
が楽しくて、印象深かった。 

 今日の演奏を聴いて、レスパスがどんどん進化
していることを感じている。
これからも聴き続けていきたい。




 
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by nokogirisou | 2015-10-29 23:18 | 音楽

沢知恵 ピアノ弾き語りコンサートかかわらなかれば

 10月10日に新潟県民会館でハンセン病講演会と
沢知恵のピアノ弾き語りコンサートが開催された。
主催は新潟県藤楓会。沢知恵の名前に思わず申し込んだ。
 第一部は敬和学園大学教授の藤野豊氏の「ハンセン病の
隔離政策について」の講演。

 第二部はピアノ弾き語りコンサート。
コンサートは、アメイジンググレースから始まった。
下北沢のラ・カーニャの季節公演とは雰囲気が違った。
しかし、どこかなつかしいような、どこかでこの空気を
味わったような気分だった。
 二曲目の「リッスン・トゥ・マイ・ヴォイス」を歌い
ながら、沢さんは「はるばる岡山からきたよ」と語った。
そう、彼女は千葉から岡山に移住したのだ。
大島青松園に通うために。毎月のお葬式に通うために。
少しでも大島に近くなるために。
 なぜ彼女がここまで、ハンセン病と関わるのか、大島
青松園でコンサートを毎年行っているのか。そのなぞは
すべて今日とけた。彼女は生後六か月で大島にわたって
いたのだ。彼女と大島青松園とのご縁の話を聞いて涙が
こぼれた。赤ん坊だった彼女を島の元患者のみなさんは
覚えていてくれた。
「覚えていてくれる」という愛。そのとおり。忘れない
でいることは愛だ。手紙を書かなくても、声をきかなく
ても、覚えているという愛がある。
 沢さんが詩人、塔和子のことを語るときも涙が流れた。
「ふるさと」を会場にいるみなさんで歌おうといわれた
が、私は歌えなかった。死の床にあった塔和子の真上で
沢さんが歌い続けたというこの歌を。
 沢知恵のくっきりとわかりやすく、うつくしい日本語
にも心を打たれた。このように語る人がいるのだ。
 「かかわらなければ」は私の好きな詩であり、この歌
の入ったCDはすでに購入して何度も聞いていた。
それでも今日、新潟で生で聴くと、とても新鮮だ。
「かかわる」という言葉がとてもリアルに立ち上がって
くる。当事者であれ。関わらなければ何も始まらない。
たとえ、面倒なことや大変なことが襲ってこようとも
関わらないでいる人生よりも、かかわる人生のほうが
いいと思う。と書きながら、関わることを恐れる自分
もいる。十分私はおせっかいであれこれと関わりなが
ら、ちゅうと半端になってしまったものが多いからだ。

 たっぷり歌を聞いたあとにCD『われ問う』を買っ
てサインしてもらった。言葉を交わしたくて。
目を見て話してくれてどきんとした。 
 






 記憶をたどる。
「盛岡スコーレ高校校歌」「はじらい」「六月」
「こころ」「故郷」「胸の泉に」「ありのままの私を愛して」
「白菊によせてー死刑囚の願い」「われ問う」
 
 
 
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by nokogirisou | 2015-10-11 03:41 | 音楽