「思い出のマーニー」(ネタバレあり)

 この映画は夏の間にどうしても劇場でみたかった。

 とにかく、映像が美しく、釧路がモデルだというが、北海道
でこんな風景を見てみたいと思った。
 この作品は少女小説のあらゆる要素を持っていた。
   なぞの洋館
   なぞの金髪の少女
   孤独な少女 
   夏の間の滞在
   
 ひとことで言ってしまえばひと夏の少女の成長物語なのだが
その描き方がとても丁寧で魅力的だった。やはり宮崎駿の描き
方とは違うと感じた。
 驚くのはイギリスの児童文学を、日本の舞台を移して描いて
も違和感がないところだ。
 
 私はどうしても涙なくしてみることができなかった。
 それは、彼女が「もらいっ子」であることを引きずっていたからだ。
彼女は自分をひきとってくれた養母の頼子を「おばちゃん」と呼ぶ。

 血のつながらない親子は、どうしても気まずく、気を遣ってしまう
ものなのだ。子どもは、ちょっとでも何かきっかけをさがして養父母
が自分のことを本当に愛していないのではないかと疑る。本当は愛され
たいのに、「どうせ自分はもらいっ子なんだ」「自分は本当は愛され
ていないんだ」と思い込もうとしてしまう。これはどうしようもない
性なのだ。素直になろう、思い込みから脱しようと思うけれど、やは
り本当の血がつながっていないというわだかまりから抜け出せない。
大人になることで、そういう葛藤を潜り抜け、感謝を感じ、心を開く
ことはできるが、だからと言って、手放しの愛情を養父母に感じるこ
とはどうしてもできない。
いつまでも条件付きの気を遣う愛情なのだ。
 この苦しみを私はひとりで勝手に共感して、劇場で泣いていた。
 
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# by nokogirisou | 2014-08-18 00:24

奈良の旅2014 室生寺長谷寺

 奈良を旅してもこれまでなかなか足を延ばせなかった
宇陀市の室生寺と桜井市初瀬の長谷寺を参拝した。
 京都から近鉄でけっこう時間がかかる。

 室生寺は室生寺大野口から一時間に一本のバスに乗って
いく。お客は7人のみ。とても静かな寺だった。
 平安時代初期に建てられた金堂ととても小さい五重の塔
はなかなか趣がある。ただよう空気に時代を感じた。
 奥の院まで挑戦したが、階段の数が予想以上に多く汗だく。
登っても登ってもたどりつかない。しかし御影堂にたどりついた
ときは達成感を得た。
 
 長谷寺は桜井市の初瀬にある。初瀬は歌によく詠まれる地名。
駅から寺までの道のりが暑く、遠い。門前のお土産屋通りが
ずいぶんすたれた印象を受ける。歩いている観光客がいない。
名物の草餅を一つ買って食べる。疲れた体にしみわたる甘さ。
 霊場なので、参拝する客はいるが、みなバスで直接寺に
やってくるようだ。だから参道を歩く人はいないのだ。
暑い平日のせいもあるだろうが。

 ようやく寺にたどりつき、登楼をあがりながら、心が落ち着
くのを感じる。長い長い階段の廊下。こうしてご本尊を拝んだ
ときの感動はない。十一面観世音菩薩さま。
 長谷寺は古典にも信仰の対象としてよく登場する。圧倒
される力を感じた。
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# by nokogirisou | 2014-08-04 06:12 |

京都の旅2014 街中散歩

  
 
 今回の京都の旅で、おもしろかったのは街中を
散歩してまわったこと。
 
 鴨川沿いは七夕の準備の灯篭や川床の宴会風景
が眺められた。川の散歩は気持ちがよい。いつ歩い
ても散歩をしている人が多い。人々に親しまれて
いる川なのだ。

 先斗町には魅力的なおばんざい屋が並ぶ。
「ますだ」は歴史あるお店。司馬遼太郎らが通った
という。中には司馬遼太郎の書が飾ってあった。
司馬と一緒に来店した文士たちの名前を読みこんだ
歌か詩だろうか。店の人が丁寧に説明して見せて
くれた。ここのおばんざいは、すばらしい。しめ鯖、
なすの田楽、湯葉巻、イワシの山椒煮に舌鼓をうつ。

 北野天満宮の近くの上七軒は粋な通り。舞子さん
が歩いている。その歌舞演芸の稽古場で夏の間は
ビアガーデンをやっている。5時半開店だが、5時
にはお客が並んでいる。みな予約された客ばかり。
いちげんさんは私だけのようだった。そのため、
残念ながらガーデンには通されず、店奥のテーブル
席に通された。気の毒がった舞子さん2人がやって
きて、たくさんおしゃべりをしてくれた。岐阜出身
の方と静岡出身の方だった。舞子言葉を上手に使う。
しかしここは明朗会計。助かった。
 烏丸御池のあたりを歩いていたら伊右衛門カフェ
を発見。のどが渇いていたので冷茶を注文する。
かぶせ茶というそうだが、独特の淹れ方をする。
これが美味。日本茶を気軽に存分に楽しめるお店。
 さらに、イノダ珈琲本店を発見。こちらも情緒
あふれる。本格的なモーニングが人気らしい。
朝は7時から営業。
  
 一乗寺の恵文社のあたりも歩いた。個性派書店
の恵文社は、本の並べ方が絶妙で、買う気を起さ
せる棚ばかりだ。雑貨店とギャラリーとイベント
のできるコテージも併設されている。多目的な
文化発信地になっている。またこのあたりは京都
であることを忘れそうな、下町の雰囲気が漂い
それが心地よかった。
 恵文社を訪ねたら、もうひとつの個性派書店
ガケ書房にも行ってみたくなった。こちらは店の
外見から変わっている。何と砂利でかこまれている
のだ。中は雑貨屋さんと古本屋さんが同居している。
 書店といえば、京都には大垣書店という大型店も
魅力的だった。夜の9時過ぎても営業しているし、こ
の店の棚作りもすてきで、品ぞろえがよい。


 
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# by nokogirisou | 2014-08-04 05:46 |

京都の旅2014 修学院離宮


 真夏の午前中に修学院離宮を見学した。
加藤周一の「日本の庭」を読んだときは竜安寺の石庭と修学院
離宮の庭をアウフヘーベンした庭が桂離宮の庭だという印象を
受けたが、年代的には桂離宮の方が修学院離宮の先につくられ
ていた。修学院離宮を造営した後水尾天皇はもちろん桂離宮を
意識して庭を作り、参考にしたそうだ。そして2代目の八条宮
智忠は、その修学院離宮をさらに意識して、桂離宮の増築を
行った。互いの庭が影響を及ぼしあっていたのが事実のようだ。

 後水尾天皇は自由を求め、修学院離宮を自ら粘土で設計した
そうだ。日常生活では自由に動き回れなかったので、せめても
別荘の中では十分に自然を堪能し、自由な生活を楽しみたかった
らしい。幕府と皇室の間に緊張関係が続いていた時代である。
 したがってこの庭は立体的である。しかも桂離宮よりも規模が
でかい。遠くに見える比叡山も一望できる京の街並みすべても
借景し、庭の一部となっている。上中下の3つの離宮の間には
田園風景が広がっているが、この景観維持のために8万㎡に及ぶ
水田を買い上げ、ずっと地元の農家に農耕してもらっているそうだ。
下離宮から上離宮まで、かなりの距離を歩かねばならないが御水尾
上皇は自分の足で歩いたという。

 なんといっても圧巻は上離宮である。谷川をせきとめて作った
浴龍池の景観がすばらしい。高いところに作られた池なので、石垣
で四段に土留されているが、景観のために、石垣の上に数十種の
常緑樹を混ぜて垣根にして目隠しにしている。
 広大な池のまわりを一周できるが、どこから見た景観も見事だ。
そこにちょうど優雅にアオサギがとんできてこの池は自分のものだ
と主張しているかのように見えた。

 自然を大胆に取り入れた広大な修学院離宮は野趣あふれ、とても
ダイナミックに見えた。気が付くと1時間15分が経過していた。
すばらしい離宮であった。
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# by nokogirisou | 2014-08-04 01:28 |

京都の旅2014 桂離宮

  ここ数年、京都の旅を続けている。歩ける街だから好きだ。
何度訪れてもなぞが多く、わからない道があり、新鮮で、季節
によっても違う顔を見せてくれる。観光客だからこそ、気まま
に滞在できるのだろう。暑いのは覚悟の上で、今年も旅に出る。

 今回の目的の一つは、加藤周一の「日本の庭」を読んで以来、
気になっていた桂離宮と修学院離宮を訪ねることだ。
 平日に夏季休暇をとったので、オンラインで比較的簡単に宮
内庁に離宮参拝の予約をとることができた。真夏はさすがに暑
いので敬遠する旅行客が多いらしい。 

 到着後、桂離宮見学時間まで時間があったので鈴虫寺と地蔵院
を周り、やや俗っぽい説教もまた楽しく、草鞋をはいたお地蔵さん
に真剣にお参りした。桂離宮の元関係者のやっている茶店でとろろ
そばを食べて、いざ離宮に向かう。

 桂離宮の周りには何もない。桂川が悠々と流れるばかり。
日蔭もない中を開門まで待つ。開始20分前に控室に案内される。
案内ビデオを見た後で、宮内庁職員によって庭園内を案内して
もらう。八条宮智仁によって宮家の別荘として作られた回遊式庭園
だが、2代智忠によって茶屋や書院が増築され池や庭園も整備され
たという。親子2代によって作られたところが特徴だ。舟遊びをし、
四季によって異なる茶屋でお茶を楽しみ、月を愛でた。

 私たちは庭全体を見ることができない。歩きながら、目の前の
風景を楽しむ。そこここに見立ての美がある。整備され、抽象的
な自然がある。洗練された美と言われる意味がようやく納得できた。
月見台にやってきてようやく庭全体を見回せる。
園内には灯灯篭がたくさんあり、夜に客人たちが園内をめぐり
遊んだことがわかる。
 
 一つ一つの建物、庭の植物は、とても丁寧に整備され、定期的
に修理されている。維持管理には莫大な費用とエネルギーが必要
だろう。およそ1時間にわたる見学は充実したものであった。
 
 ここ数年、京都の旅を続けている。歩ける街だから好きだ。
何度訪れてもなぞが多く、わからない道があり、新鮮で、季節
によっても違う顔を見せてくれる。観光客だからこそ、気まま
に滞在できるのだろう。暑いのは覚悟の上で、今年も旅に出る。

 今回の目的の一つは、加藤周一の「日本の庭」を読んで以来、
気になっていた桂離宮と修学院離宮を訪ねることだ。
 平日に夏季休暇をとったので、オンラインで比較的簡単に宮
内庁に離宮参拝の予約をとることができた。真夏はさすがに暑
いので敬遠する旅行客が多いらしい。 

 到着後、桂離宮見学時間まで時間があったので鈴虫寺と地蔵院
を周り、やや俗っぽい説教もまた楽しく、草鞋をはいたお地蔵さん
に真剣にお参りした。桂離宮の元関係者のやっている茶店でとろろ
そばを食べて、いざ離宮に向かう。

 桂離宮の周りには何もない。桂川が悠々と流れるばかり。
日蔭もない中を開門まで待つ。開始20分前に控室に案内される。
案内ビデオを見た後で、宮内庁職員によって庭園内を案内して
もらう。八条宮智仁によって宮家の別荘として作られた回遊式庭園
だが、2代智忠によって茶屋や書院が増築され池や庭園も整備され
たという。親子2代によって作られたところが特徴だ。舟遊びをし、
四季によって異なる茶屋でお茶を楽しみ、月を愛でた。

 私たちは庭全体を見ることができない。歩きながら、目の前の
風景を楽しむ。そこここに見立ての美がある。整備され、抽象的
な自然がある。洗練された美と言われる意味がようやく納得できた。
月見台にやってきてようやく庭全体を見回せる。
園内には灯灯篭がたくさんあり、夜に客人たちが園内をめぐり
遊んだことがわかる。
 
 一つ一つの建物、庭の植物は、とても丁寧に整備され、定期的
に修理されている。維持管理には莫大な費用とエネルギーが必要
だろう。およそ1時間にわたる見学は充実したものであった。
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# by nokogirisou | 2014-08-04 01:02 |

アンサンブルクライン

8月3日アンサンブルクライン第50回記念演奏会を聴きに行ってきた。
 奥村和雄門下生によるヴァイオリンガラコンサートである。
奥村愛、鍵冨弦太郎、庄司愛、枝並千花(以上ヴァイオリン)、
羽柴累(ヴィオラ)という門下生の錚々たるソリストたちも
参加し、とても魅力的なコンサートだった。

 13時30分開場のところ12時すぎには、入場口に並んだ。
ミーハーながらかぶりつきの席をとる。
 
   プログラムは
 「スコットランドの釣鐘層」スコットランド民謡
 
 おもちゃの交響曲    レオポルト・モーツァルト
 「調和の幻想」作品3より第10番  ヴィヴァルデイ

 ヘンデルの主題によるパッサカリア  ハルヴォルセン

 弦楽のための交響曲第10番     メンデルスゾーン

「和声と創意の試み」作品8より「四季」  ヴィヴァルデイ

  なんといっても「四季」が圧巻
 春、夏のヴァイオリン独奏は枝並千花、
 秋、冬のヴァイオリン独奏は奥村愛
 
 本当にのびのびした、つややかなヴァイオリンの音色に
 聞き惚れた。「四季」は何度聴いても、そのときどきの
 聴き方ができる。
 以前はあまりぴんとこなかった「夏」が今日はとても
 すてきに、夏らしく聞こえて不思議な気がした。

 それから印象深かったのは鍵冨弦太郎とヴィオラの
羽柴累との「ヘンデルの主題によるパッサカリア」だった。
室内楽ならでは、音のやりとり、会話のような楽器同士の
コミュニケーションがとても魅力的だった。
 鍵冨さんがとてものびのびと、笑顔で演奏されていたの
がとても印象的だった。

 ほんとうに楽しい時間でアンサンブルの魅力を堪能した。
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# by nokogirisou | 2014-08-03 23:49 | 音楽

『ギルバード・グレイプ』

 アメリカの映画の中で最も好きなもののひとつ。
ラッセ・ハルストラム監督の1993年の作品『ギルバード・グレイプ』
を久しぶりに見た。
 ジョニー・デップ扮するギルバードがなぜ魅力的なのか。
自分の夢がわからず、野心をもたず人妻と不倫をする若者。
知的障害を持つ弟のアーニーの世話と、父の自殺後過食症となり
肥満化してしまった母を見守ることに追われ、アイオワの町から
出ていけない男。状況だけ見れば少しもぱっとしないのに、観る
者はどうして彼を愛さずにはいられないのか。
 
 それはギルバードが愛を拒絶しないからだ。 
 面倒な愛、重苦しい愛、はかない愛。投げかけられる様々な愛
を拒まない。そして去る者は追わない。
 彼は、障害を持つ弟のアーニーも肥満で町の人に笑い者にされ
ることを恐れる母をも受け入れ、愛している。

 私たちも、なかなか人生思うようにはいかない。
 自由に行きたいところに行き、生きたいように生きられる人は
限られている。自分の運命はある程度受け入れねばならない。
だからこそ、ギルバードに共感してしまうのだろう。

  そういう彼をまるごと受け入れ愛するのが旅の女性、ベッキー
 だ。彼女はみんなが手を焼くアーニーをも自然に受け入れ大事
 にする。
 この映画では、もう一人、アーニーを演じるレオナルド・デカプリオ
からも目が離せない。迫真の演技だ。

 結末には予感がある。新鮮な世界への旅立ちの予感。だからこそこの
映画が好きなのだろう。
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# by nokogirisou | 2014-07-27 23:07 | 映画

10周年

 気が付いたら、「右腕を鍛えたい」を書き始めてから10年がたっていた。
 よく日記なんて公開しているね、と言われるが、blogだったから10年も
続いたのだと思う。自分の手帳だけの日記だったらそうは続かない。

この間は激動だった。
 変化も大きい。
 勤務地が2度変わった。
 「虫」「星」「魚」そしてテニスの話題が多かった初期。
今は、音楽と図書館の話題が中心になった。読書の記録も
追い付かなくなって、読みっぱなしで記録を忘れることもしばしば。
未だに「明治」という時代が気になっている。あれこれ読みっぱなし。

 生きている書き手で、新著をおいかけているのは
 村上春樹
 石原千秋
 関川夏央
 上野千鶴子 
 三浦しをん
 原田マハ
 
 ときどき鎌田實、村山由佳。

 魚は、長生きの金魚がいまだ元気だが、グッピーたちはみないなくなった。
水槽の掃除は定期的に続けている。
 クワガタは数年前から幼虫を育てなくなった。置く場所と世話をする
時間がなくなったことによる。
 
  
 
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# by nokogirisou | 2014-07-27 22:45 | 日々のいろいろ

ベルリン・フィル12人のチェリストたち

 7月8日はりゅうーとぴあコンサートホールに「ベルリン・フィル
12人のチェリストたち」の演奏会を聴きに行った。いつものオルガン側
のp席だ。チェリストたちを見下ろす感じになる。
 
 パート1とパート2ではずいぶん団員の雰囲気が変わった。
いずれも編曲がすばらしく、室内楽の楽しみを満喫できた。次々と
主題を受け継いでいくのが視覚的にも確認できて、チェロの対話を眺めて
いるような楽しさだった。チェロだけの合奏でこんなに豊かな音色とリズム
を味わえるのはやはり感動的である。プログラムは次のようになっていた。 

パート1
J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲 第6番 変ロ長調 BWV1051
R.シューマン:森の情景 作品82 より
森の入口/茂みの中で獲物を狙う狩人/孤独な花/気味の悪い場所/狩の歌/別れ

パート2
三枝成彰:レクイエム
J.ウィリアムス:映画『シンドラーのリスト』より "メインテーマ"
M.ルグラン:映画『華麗なる賭け』より "風のささやき"
A.ピアソラ:カランブレ
C.グランダ:肉桂の花
A.ピアソラ:カリエンテ
B.ハーマン:映画『めまい』より"ラブ・シーン"
G.シアリング:バードランドの子守唄
T.ギルキソン:映画『ジャングル・ブック』より "ベア・ネセシティーズ

 私が特に新鮮に印象的に、わくわくして耳を傾けたのじゃ、シューマンの
「森の情景」と三枝成彰の「レクイエム」そしてピアソラの「カランブレ」だ。
 引きこまれた。
              
 アンコールは3曲もやってくれた。

 リンデマン 「ボサ・ノヴァ」12人のためのブラジル風変奏曲
 マンシーニ 「ピンクパンサーのテーマ」
 瀧廉太郎 作曲 三枝成彰編曲「荒城の月」

 スタンディングオベーションやブラボーの嵐だった。
 メンバーの方たちも舞台で日本語を話してくれたり、手を振って
 くれたりと大サービスであった。
 
 
 
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# by nokogirisou | 2014-07-09 00:07 | 音楽

学校図書館悲観論

 学校図書館をめぐる歴史は長い。私たちは、長い時間をかけ
て明るくて、本がたくさんあって、司書がいて、本を読むのが
大好きな子どもたちがたくさんいる図書館をめざし、それらを
手に入れてきたつもりだった。
 しかし、今、このままでは学校図書館は消えてゆくだろう。
少なくとも、地方の高校の図書館は、何か別の場所になってし
まうのではないかという危機感と恐怖感を抱いている。

 理由の一つ目。今は電子書籍、ICT教育の時代だから、
紙の本にこだわった図書館の利用価値はないと考える人が
増えているからだ。
(しかし本当にそうだろうか。家庭で紙の本に接する生徒
たちが少なくなるのだったら、なおさら紙の本を読めたり
紙の参考図書で調べ学習ができる図書館は貴重になると思
うのだが)ICT化やデジタル化に追い付かない学校図書
館は取り残されるだろうと言われている。

 理由の二つ目。上記の問題とも関連するのだが、活発に
利用されていない学校図書館が多いからだ。中高生の図書
館での貸し出し冊数は減っている。7割8割の中高校生が
借りていないというデータもある。スマホやタブレットや
ゲームに費やす時間が長く、紙の本を借りて本を読む時間
がないのかもしれないし、教員が学校図書館を使いこなせ
ていないのかもしれない。図書館は自習室と化して、読書
の場、探究学習の場となりえていない。学校図書館を活用
しているのはほんの一部の教員と司書のようだ。
 「本なんか読まなくても生きていける」という教員もいる。
しかし、現状よりよりよい生き方、より豊かな人生を目指すの
が教育現場ではないのか。そして書物を読める人に育てていく
のがそもそもの学校の使命ではなかったのか。
 このように少数の読書好きの教師と生徒しか利用しない図書
館には今後予算は回せないだろうと言われている。予算がつか
ない、魅力的な資料を集められない、なおさら人が寄ってこな
いという悪循環が予想される。

 そして、読書のできない高校生が確実に増えているという。
一冊まるごと本を読んだことがないと豪語する生徒たちの
なんと多いことか。集中的ない、読んでも理解できない生徒
たちも増えている。こういう生徒たちが、タブレットや電子
書籍の文章なら読めるのだろうか。私はとてもそうは思えな
いのだが。

 小学校では、図書館を活用した授業が多い。本を読むのが
好きな児童も多いという。それなのに、彼ら彼女らはいつの
間に読めなくなってしまうのか。読まなくなってしまうのか。
絵本から読みものへ、そして小説、さまざまなジャンルの本
への移行がうまくいっていないのではないか。

 私は、学校図書館にしがみつくつもりはない。初めに図書館
ありきでもないと思っているが、たくさんの資料を苦労して
探したり、読んだり考えたりしない学校に、未来は見いだせ
ないのだ。学校図書館や紙の本を安易に無駄だ・不要だ・時代
遅れだと口にする人に図書館に替わる知的成長の場を提供でき
るとは信じられないのだ。

 今日は、本当は高校の学校図書館に携わる人たちの前向きな
会議のはずだったが、学校図書館に対するネガティブな意見を
ずっと聞きながら、本当に滅入ってしまった。

 
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# by nokogirisou | 2014-07-01 21:45 | 本と図書館