調べもの

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調べたいことを持っている、というのは幸せなことだ。
ネットですぐに解決できることでなく、時間とエネルギーが必要な しらべもの。最近はインターネットで調べることが普及する前に比べて、本当に調べものが、簡単になったが、それでも、まだわからないこと、手にいれにくい情報、資料は山のようにある。
地元の図書館である資料のレファレンスを依頼したところ、国立図書館関西館、東京都立中央図書館、東京都立多摩図書館にあることがわかった。コピーするには分量が多いということで、一番近い都立中央図書館に出向いた。2年ぶりだったが、一階にカフェができ、音声映像コーナーは一階に移っていた。荷物も持ち込み可能だった。やはり、じかに資料を手にとって読む、確認するというよさを実感する。
学生時代に通っていたときと、基本的な雰囲気は変わっていないのだが、この20数年間で利用勝手は随分よくなっている。そして、この図書館のある有栖川記念公園が私は大好きだ。1日がかりの調べをしてそそくさと帰る。


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by nokogirisou | 2018-09-24 16:40 | 本と図書館

どう働くか

目の前にはやらねばならない仕事が山のようにあるけれど、それだけに熱心になり、それだけに終わっていると
結局、目の前の生徒に対してすら何も還元できずに終わってしまう。自分がだんだん空っぽになっていく。
インプットが足りない。
目先の予習、目先の会議の準備だけではだめなのだ。
直近の仕事をしつつ、先のことも考え、今すぐ役にたたないことにも関心を持ち続けること。そして、中長期的なテーマを持ちつづけること。もちらん遊びも。

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by nokogirisou | 2018-09-24 08:29 | 日々のいろいろ

『高校の国語授業はこう変わる』(大滝一登 髙木展郎編著 三省堂)の第3章はQ &Aだ。
多くの高校国語教員の頭の中はハテナでいっぱいだろう。
学力でなく資質・能力とは何か。その育成とはどうすればできるのか。
「論理国語」と「文学国語」を生徒全員に両方履修させることは現実的にできる
のだろうか。
実態のない「実用的な文章」は、教室で読む意味があるのだろうか?
具体性がないと生徒たちは読むモチベーションんを失うのではないか?
観点別評価は、授業と評価の一体化に本当に役立つのか?

Q&Aを読んでもまだ私はわからない。

とにかく新しい学習指導要領では、これまでの教材中心主義を批判している。
これまでは、たしかに定番教材があり、教材の読解理解が授業の中心だった。たしかに、生徒に読ませたい教材はある。しかしだからといって教材の中身だけを教えていたのではなく、教材はあくまで手段で、読みの体験を
通して読解スキルと言語技術を習得させていた面もあるのではないか。

評価の仕方についても疑問が残る。ペーパーテストは学んだことの再生の正確性や知識の
習得量をみることが主とされてきたとあるが、思考力を試すペーパーテストも十分
ありうる。
もちろん成果物やパフォーマンスも評価していくべきだと思う。しかし一人の教員が担当
する生徒が今のように多い状況で、毎時間効果的な指導や評価ができるだろうか。相互評
価や自己評価を活用したらいい、という声もあるが、それで資質・能力が向上するだろう
か。指導者が直接指導、評価しないわけにはいかない。
しかも教員がそれぞれの主観で評価していてよいわけがない。教員の評価のチカラを高め
る研修がもっと必要であろう。

これから危惧されるのは、やはり古典教育、文学教育の劣化だ。芸術と同じような、その
道に進む生徒だけが特別に学べばよいという扱いになりそうではないか。






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by nokogirisou | 2018-09-22 23:09 | 本と図書館

透明なゆりかご


金曜夜10時からのNHKのドラマ全10回をずべて観た。一話一話が濃く、
印象深い作品だった。映画でもなくコミックでもなく、テレビドラマ
だからこそ描けた世界や雰囲気があった。
命をめぐるさまざまなケースをとても丁寧に描いたドラマだった。
時代設定が1997、1998年なのがまたよかったかもしれない。
ナースキャップと「看護婦さん」の時代である。
清原果那の演じる淳看護生、青田アオイさんと彼女のアルバイト先
である由比産婦人科のスタッフたち。みなそれぞれ重たい人生を
抱えながら、命の誕生と死に真摯に向き合い続けている。
仕事として他人の人生に関わっている。そのまなざしと距離感に
救われる思いがする。
ー他人の気持ちはわからない。
 だから一生懸命考えて
 それがよかったと信じるしかない。ー


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by nokogirisou | 2018-09-22 01:16 | 日々のいろいろ

『高校の国語授業はこう変わる』(大滝一登 髙木展郎編著 三省堂)
第2章には、資質能力を育てる授業プランが掲載されている。必修の「現代の国語」の【書くこと】の授業の単位時間数が多いことに驚く。作文を目的にした授業ができるのはありがたいが、教員の授業デザイン力や、評価力が問われると思う。【読むこと】の授業も生徒個人の主体的な読みの姿勢が問われ、複数の文章を読み比べたり、自分の読みを他者の読みと相対化したりする授業か提案されており、これまでの「定番教材」を読解していく授業とは趣が異なる。古典も時代の異なる複数の作品を読み比べたり、古典と翻案小説を比較して読むなど、これまでの訓詁注釈を超えた、俯瞰的で総合的な国語力の養成が求められている。
しかし、古典を読みこなすには、やはりかなりの基礎的なスキルが必要で、その指導の時間も無視できないだろう。それについての授業提案は、本書には書かれていない。
「自分の考え方や事柄がらが伝わるようにレポートを書く」「複数の文章を読み比べて、理解したことを発表する」「成立した時代の異なる作品を読み比べる」など
「現代の国語」の授業では思考ツールや考えるための技法、探究マップの活用が促されている。総合的な学習のレポート作成を思わせる内容だが、概してレベルが高く、高校1年生に実施可能か不安になる。



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by nokogirisou | 2018-09-20 23:32 | 本と図書館

新しい学習指導要領になって、一番の変化が求められているのは、国語だよ、と言われている。
本当だろうか。さてどう変化すればよいのか。
『高校の国語授業はこう変わる』(大滝一登、髙木展郎編著 三省堂)を読み進めながら、考えたい。

これまでの高等学校の国語教育では、たしかに教材の正確な読み取りが中心に行われてきた。その方法は訓詁注釈的で、学年や学校で共通の方法と考査で管理されてきた。知識とスキルの定着が何よりも求められた。なかなか教師個人で好きなように 授業ができなかったのが現状だ。また、教材ありきで、定番教材があり、教材を教えることが、国語の授業だった。
これからは、資質、能力ベースの単元構想が必須になり、分野を越えて題材を組み合わせたり、同一分野で複数の題材を組み合わせて授業していくことが求められる。授業のデザインを授業者が主体的に行わねばならないし、参加する生徒たちが主体的、対話的に学べ授業にしなければならない。これは結構ハードルが高い。
評価もこれまでのような設問形式の考査だけでは行われなくなるだろう。レポートなどの成果物、発表などのパフォーマンスの評価が必要になる。そこでまた、客観的な評価をどうするべきかという議論が起きることがだろう。
これまでの国語教育に閉塞感を感じてきた私は、方向性としては、歓迎している。しかし各論になったり、現実場面で考えることになったりすると、疑問や不安を抱かずにはおれない。




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by nokogirisou | 2018-09-17 20:02 | 本と図書館

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プログラム
Ⅰ 混声合唱による「日本抒情歌曲集」より
     1 浜辺の歌
     2 箱根八里
     3 待ちぼうけ
     4 野の羊
     5 早春賦
Ⅱ ピアノ 合唱 管弦楽のための「合唱幻想曲」ベートーヴェン
    
Ⅲ レクイエム フォーレ
   
   Ⅰは、おなじみの日本歌曲なのだが、林光が混声合唱に編曲し
   ているところに関心を持つ。
   ピアノが伴奏ではなく、協奏曲的で、聴きどころ、見所がある。
   Ⅱはとてもめずらしい編成で、最初はピアノの独奏で始まり、
    やがて管弦楽が入って協奏曲のようになり、やがて合唱が入
    ってくる。それが第9の「歓喜の歌」の旋律に似ている。
   Ⅲは出演者の気迫を感じた。フォーレは「死は苦しみというより、
    むしろ永遠の至福の喜び
   に満ちた解放感」と言っているそうだが、聴くものに解放感を与
   えてくれる曲だ。
   ソプラノの鈴木愛美さん、バリトンの野淵雅史さんがすばらしい
   ソロを聴かせてくれた。

  大変気になったのは、会場に集まってくる聴衆が平均65歳を超える
  のはないかと思われるほど高齢化していることだ。今、クラシック音楽
  を楽しんでいるベビーブーマーの世代がいなくなったら、クラシックの
  コンサート会場はガラガラになってしまうのではないかと危惧する。
   
   


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by nokogirisou | 2018-09-09 21:17 | 音楽

感じたこと・考えたことを忘れないために。